『徒然草』
そこには物狂おしいまでの
女性への思いが書きつけられていた
178時限目◎本
堀間ロクなな
喉に小骨が刺さったよう、と言えばいいのだろうか。かねて『徒然草』の有名な冒頭の文章がすんなりと呑み込めずにきた。「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」――。俗世を脱したかのようなたたずまいと結びの「ものぐるほしけれ」が、わたしにはいかにもアンバランスに感じられるのだ。そこで、大野晋編『古典基礎語辞典』を引いてみたところ思わず膝を打ってしまった。
ものくるほ・し【物狂ほし】の語釈として、常軌を逸した状態、正気ではないさま、を示したうえで、中古の時代には「恋情のため、男が女に無態な言い寄り方をするなどの非常識なさまの意に拡充されても使われた」と解説されているではないか。これならピンとくる。つまり、ここにあるのは高校の古文の授業で習った抹香臭い教訓ではなく、文字どおり、心に浮かぶままをしたためていくと過去の女性とのあれこれが蘇って心乱されずにはいられない、といった感懐だろう。こうした観点から改めて本文を眺めると、確かに悩ましいばかりの筆致が随所に見て取れるのだ。いくつか抜粋してみよう。
女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて、女の、うちとけたる寝も寝ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。まことに、愛著の道、その根ふかく、源とほし。[第九段]
女性のあらゆる立ち居振る舞いはすべて男性に好まれるためという、愛欲の業。だが、そんな女性の手管にたぶらかされる著者のほうがずっと業が深いのでは?
雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何ともいはざりし返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞きいるべきかは。かへすがえす口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。[第三十一段]
雪の朝にまつわる女性との手紙の思い出。『徒然草』全段のなかでも最も美しいシーンだろう。もとより、ふたりはただ手紙を交わすだけの仲ではなかったはずだ。
女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず、ただ迷ひの方に心もはやく移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかとみれば、また、あさましき事まで、問はず語りに言ひ出だす。深くたばかりかざれる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、あとよりあらはるるを知らず。すなほならずしてつたなきものは女なり。[第百七段]
これはまたどうしたことだろう。悪口雑言のかぎりを尽くして罵るありさまは、とうてい出家者のものとも思えない。それほどまでに女性への執着が激しかったことが窺える次第。
よろづの事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに遭ひ見るをばいふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。[第百三十七段]
会わぬことが恋の情趣。わたしもいつかこうした境地に至りたい。
これらの文章に刻み込まれているのは隠しようもない、まさしく「ものぐるほしけれ」だろう。今回参照した新潮日本古典集成版の解説(木藤才蔵)によると、鎌倉時代の黄昏どきにおいて、『徒然草』は吉田兼好が下級貴族の職にあった20代のころから、世を捨て仏道に専心するまでの約20年の歳月をかけて書き溜められたと推定している。であれば、その間には女性をめぐって腰の定まらぬ見解が織り込まれたのも当然だろうし、こうした煩悩の苦みを味わい尽くした果てに到達したものだからこそ、ずしりと人生無常の重みを持つ随想集に結実したのに違いない。いつの世も男性を育てるのは、やはり女性なのである。
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