デヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』

第二次世界大戦の終結から75年――
ヒトラーはいまも生きている?


180時限目◎映画



堀間ロクなな


 去る5月8日は第二次世界大戦がヨーロッパで終結して75年目にあたり、イギリスのエリザベス女王はテレビ演説で「戦争の展望は厳しかったが、われわれは信念を貫いた。諦めず、絶望に陥らないことが記念日のメッセージだ」と呼びかけた。映画『英国王のスピーチ』(2010年)が描いたように、ナチス・ドイツに対して宣戦布告した当時、父君のジョージ6世が重度の吃音症ながらラジオ演説で全国民の結束を訴えたというエピソードが知られているだけに、女王もひとしお感慨深かったことだろう。



 こうした報道に接して、しかし、わたしが咄嗟に思い起こしたのはアカデミー賞主要部門を受賞したその名作ではなく、ドイツのデヴィッド・ヴェンド監督の手になる『帰ってきたヒトラー』(2015年)のほうだった。日本で公開されたときにすでに一度観たことがあるものの、この機会に改めてレンタルビデオ店でソフトを借り出して再見におよんだところ、衝撃力がちっとも減衰していないばかりか、新型コロナウィルス禍で世界経済が危殆に瀕しているいま、かつてよりもずっと不穏な焦燥感に囚われたのである。



 この作品は、テメール・ヴェルメシュの風刺小説をもとにしたコメディと銘打たれている。大戦末期のベルリン陥落に際して総統官邸の地下壕で自殺したはずのアドルフ・ヒトラーが突如、当時の軍服をまとったまま現代に姿を現す。おつむのイカれた人物か、大向こうウケを狙う芸人か、と市井の人々は相手にしないが、本人はあくまで真剣そのもの。やがて視聴率の低迷にあえぐテレビ局が目をつけて、良識ある一部関係者の反対を押し切って大々的にプロモーションすることに。バラエティ番組で「この国はなんだ! 子どもや老人の貧困、おびただしい失業者、そして、過去最低の出生率……。無理もない、だれがこの国で子どもを産みたがる?」とかれがまくしたて、「ドイツは奈落に向かってまっしぐら。二度の世界大戦に敗北したときよりもひどい。いまこそ、この私が建て直そうじゃないか」とこぶしを振りかざすと、視聴者たちは拍手喝采を送り、たちまちネット上にも拡散して大ブームとなる。まさにブラック・ユーモアの光景だろう。



 だが、ブラック・ユーモアを言うなら、実はもっと別のところにある。映画では上記のストーリー展開と並行して、ヒトラーそっくりに扮した主役の俳優(オリヴァー・マスッチ)が軍服姿で人々と語らうドキュメンタリーが映し出されるのだ。撮影は9カ月間にわたってドイツ各地へ出向いて行われたという。そこには薄ら笑いを浮かべてからかう若者や、ここから出ていけと怒りをぶつける老人も見られるけれど、たいていの人々はヒトラーと瓜ふたつの人物の到来を受け入れて、しきりに政治不信の声をあげ、とりわけその矛先が海外からの移民に向かうとかまびすしい。圧巻なのは、ネオ・ナチの団体本部に乗り込んでいって代表者を叱咤し、相手に「あなたがホンモノならついていく」と応じさせる場面だ。紛れもなく現代世界の政治のヒトコマだろう。最後にかれの「私は人々の一部なのだ、だれも私から逃げられない」との宣言をもって結ばれるとき、この映画はもはやコメディではなく戦慄のホラーと言うにふさわしい。



 それにしても、とわたしは疑う。第二次世界大戦の終結から75年のあいだ、ヒトラーほど頻繁に映画に登場した政治指導者はいないだろう。ルーズベルトも、チャーチルも、スターリンも、毛沢東も、あるいはガンジーやケネディであっても、ことこの点では史上最悪の独裁者のひとりの足元にとうていおよばない。これは一体、何を意味しているのか? もしかしたらこの先も、スクリーン上ではヒトラーだけが突出した存在として永遠に跳梁跋扈していくのだろうか?



 いや、他でもない。わたし自身がヒトラーの登場する映画にはつねに胸騒ぎを禁じ得ない、その胸中の仕組みをまず見きわめることからはじめなければ。


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍