ベーム指揮『田園』
嵐が過ぎ去ったあとに
たったひとりで立ち尽くす者のために
185時限目◎音楽
堀間ロクなな
クラシック音楽の核心は「孤独」にある、というのがわたしの持論だ。ひとはひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。そうした人間の宿命に対して、キリスト教の精神風土のもとで寄り添いながら発展してきたのがクラシック音楽なのだから。
往年の巨匠たちのレコードがいまもわれわれの心を揺さぶるのは、かれらが20世紀前半の二度の世界大戦に出くわし、むろん不幸な体験だったにせよ、それによって音楽にひときわ深く孤独の陰影を織りなすことができたからではないか。戦後世代の演奏家たちはその意味で、決定的に立脚点を異にする。ベルリン・フィルの歴代指揮者で言えば、フルトヴェングラー、カラヤンまでと、その後のアバドやラトルとのあいだに一線が引かれよう。また、ピアニストならアルゲリッチ、ポリーニ以降か。恵まれた環境で幼時から音楽の勉強に専念し、国際コンクールによって頭角を現したかれらは、技巧的にはオリンピック選手のようにめざましい能力を発揮する反面、その演奏がついに人間の負う孤独と出会わないのも理の当然だろう。
もうずいぶん前のことだが、イラストレーターをやっている年上の知人が夜分に拙宅を訪れ、ベートーヴェンの『田園』を聴かせてほしいと頼まれた。日ごろクラシック音楽に親しんでいないのだが、ふとあのアタマの旋律が耳について離れないと言う。そこで、カール・ベーム(1894年生まれ)がウィーン・フィルを指揮したCDをプレイヤーに入れて、乱雑な部屋に気が散らないよう電灯を消した。約45分後、暗闇のなかで演奏が終了して電灯を点けると、ふたりとも顔じゅう涙でぐしゃぐしゃになっていた……。
ベートーヴェンが1808年に完成させたこの交響曲第6番は、五つの楽章から構成されて、それぞれに「田舎に着いて、はればれとした気分がよみがえる」「小川のほとりの情景」「農民たちの楽しい集い」「雷雨、嵐」「牧人の歌 嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気分」の標題がある。まさにオーストリアの田園風景にインスピレーションを受けたかのようなつくりだが、実は、これを制作した当時のベートーヴェンはすでに聴力を失っていた。つまり、作品中に現れる小川のせせらぎも、カッコウやナイチンゲールの鳴き声もかれにとっては抽象的な音楽だったわけで、田園風景をスケッチしたというより、世界に向かってたったひとりで対峙している姿をイメージしたほうが、ベートーヴェンには似つかわしい気がする。本人も『音楽ノート』にこう書きつけているのだ。
「田園生活の思い出をもっているひとは、たれでも、たくさんの注釈をつけなくとも、作者が意図するところは自然にわかる。描写がなくとも、音の絵というより感覚というにふさわしい全体はわかる」(小松雄一郎訳)
あの夜、わたしだけでなく、知人の双眸からも熱い涙を迸らせたのは間違いなく、第4楽章から切れ目なく最終楽章へと移った個所だ。天地を引き裂くほどの嵐がようやく去って、自然は穏やかな呼吸を取り戻し、あたり一面心安らぐ夕映えに包まれる。それは世界という疾風怒濤のただなかにあって、たったひとりで立ち尽くす者のために寄り添って慰謝する音楽でもあった。第一次世界大戦中からおもにドイツ・オーストリアの歌劇場で研鑽を積み重ねてきたベームは、さすがにそのへんを彫りの深い演奏で再現して間然するところがない。以降の世代の指揮者にはとうてい及びもつかない手腕だ。
ついでに言うと、ベームにはこの1971年のスタジオ録音のほかに、1977年3月に来日して同じウィーン・フィルとNHKホールで演奏した際の『田園』の録音と映像が残されている。それを眺めると、82歳を迎えた巨匠がみずからの孤独と厳しく向き合ってもはや自在の境地にあり、わたしの目にはクラシック音楽の核心がここに如実に記録されているように映るのだ。それから半世紀近くが経過したいま、世界が新型コロナウィルスという巨大な災厄に見舞われたことによって、否応もなく、クラシック音楽は人間の負う孤独と久しぶりの再会を遂げようとしているのかもしれない。そのとき、若い才能は果たしてどのような『田園』を奏でるだろうか。
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