中国に関する質問回答 (八)

【質問】 

このコロナ禍のさなか、上野動物園では「パンダのもり」がオープンして人気を博しています。 四川省の自然をモデルにしたという新施設はテレビ報道を見ても大変立派で、マスクをつけてそれを眺めている来場者たちより、リーリーとシンシンのほうがよほど優雅な暮らしをしているようです(笑)。

 中国の人々にとってもパンダはこれほど特別な存在なのですか?また、パンダの特別視はいつごろ、何をきっかけに始まったのでしょう? 

【回答】 パンダは少なくとも800万年前から地球上で生き残っており、中国の特有の動物であることからパンダは「生きた化石」「中国の国宝」と呼ばれ、世界自然保護基金(WWF)のアンバサダーである。 中国の国家一級レベルの保護動物に属している。2011年10月までに、中国で飼育されていたジャイアントパンダは333頭、2018年11月、ジャイアントパンダの数は548頭までに増えた。野生のパンダの寿命は18―20年で、室内環境で飼育の場合は30年を超えることもある。 

中国人のパンダの特別視は「パンダ外交」から始まったらしい。「パンダ外交」の最も有名な事例は1972年。その年、ニクソン米大統領の歴史的訪中を迎えるために、周恩来総理はとくに米国に「興興」(シンシン)と「玲玲」(リンリン)という1つがいのパンダを贈呈した。

 中国と日本の国交正常化を鑑みて、日本にも「蘭蘭(ランラン)」、「康康(カンカン)」という1つがいのパンダを贈った。 1980年代初期まで、中国はパンダを外交上の贈り物としていろんな国に贈った。1984年ワシントン条約が締結され、絶滅危惧種のパンダの譲は渡動物保護に違反すると禁止され、貸し出すようになった。 今、パンダのレンタル料として一頭で年間50万ドルから100万ドルになっている。 

筆者の記憶の中、パンダは特別な存在、特に一頭の名前は「巴斯」(バス)のスターパンダの一生を語ってみたい。日本に来る前の90年代、筆者は故郷の福州市動物園のパンダセンターの所長の陳玉村氏に取材したことがある。伝説のパンダの巴斯と対面した… 

巴斯(バス)は1980年生まれ、1984年、中国四川省自然保護区にて、飢えた巴斯は食べ物を求めて山を下り、宝興県の巴斯川で村人に救助され、それ故に「巴斯」の名前に付けられた。 1984年5月、福州市動物園の陳玉村氏は、国家林業局にパンダを申請するために北京に行った。そして、巴斯がようやく福州にやってきた。 

巴斯のスポーツ才能は福州市動物園で発見された。巴斯が自転車に乗ったり、フープを撃ったり、ウエイトのリフティングをしたり、いろんな技を身に着けた。人気を集めていた。 1987年、巴斯は中国野生生物保護協会と中国の林業省がアメリカのサンディエゴに半年間派遣された。二百日の間に、観客は毎日数キロの行列を並んで、巴斯を見るために5時間を待つこと。 1990年、巴斯はアジア競技大会のマスコットになった。90年代、中国林業省が巴斯を各地に派遣し、演出させていた。巴斯がパンダ生息地保全プロジェクトの全国実施と資金を集めるのに貢献した。 

1991年に開催された中国中央テレビの春節聯歓晩会(中国版・紅白歌合戦)では、巴斯が巧みなパフォーマンスを披露し、一躍有名になり、スターパンダとなった。その後、巴斯は全国あちこちのファンに会いに行った。このようなツアーは10年間も続いた。 陳玉村氏は「パンダのお父さん」だといわれている。30数年間ずっと巴斯のそばで守ってあげていた。 

2000年、巴斯は世界で初めてジャイアントパンダとして高血圧症と診断された。2002年7月23日、巴斯は血圧が通常の2倍になったことで血管が破裂して大量の出血を起こし、一週間昏睡状態に陥っていた。医療チームの懸命な治療のもと、巴斯は命を取り戻した。 パンダの5%が白内障を患っていると言われている。巴斯は白内障と診断された。

2002年4月14日、中国の東南眼科病院、南京軍区福州総合病院が共同で巴斯の目の手術を行い、中国でパンダの白内障手術に初めて成功した。 2010年6月、巴斯が膵臓炎と急性腸炎を患い、命が危ぶまれていたが、医者たちが懸命なサルベージによって、巴斯が再び一命を取り留めた。 2015年には巴斯を主人公とした中国のプロモーションビデオが米ニューヨークのタイムズスクエアで流された。  

2017年1月18日、巴斯は37歳の誕生日を迎えた。この日は巴斯(1980年生まれ)と同い年の100人が福州市動物園に集まり、当時世の中、「最も長く生きているジパンダ」の誕生日を祝いした。2017年9月13日に巴斯が37歳でこの世を去った。

 2019年12月11日、巴斯の物語を通じて平和のメッセージを伝える文化フォーラムが福州市で開かれ、国内外から文化やスポーツなど各界の代表約200人が参加した。 巴斯の物語を紹介し、平和の精神を世界に発信するとともに、異文化交流を通じた相互理解を図ることを目的としている「巴斯文化宣言」も発表された。  

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍