わが身を沈めるという所作

大人の自習時間 スペシャル「私の7時のニュース」



堀間ロクなな


 どうしたって気持ちが高ぶってしまう。2019年の春に池袋で起きた自動車暴走死傷事故をめぐる報道だ。ことの顛末はごくシンプルと言えるだろう。だから、それから2年あまりにわたって折々に伝えられてきた内容に目新しいニュースはなかったにもかかわらず、テレビがこの事故を取り上げると画面に視線が吸いつけられた。そして、妻と娘が犠牲となった若いサラリーマンの夫がマイクの前で声涙を振り絞るたびに、わたしも熱いものが込み上げ、自動車を運転していた元高級官僚の老人が原因はクルマにあるとして自分の無実を主張するたびに、こめかみが音を立てるほど血圧が上昇するのを覚えた。



 むろん、こうした心情はわたしだけでなく、当然ながらテレビの前にいる世間の多くの人々と共通するものだったろう。この事故に対して、なぜこうも平静でいられないのか、では、仮にどのような成り行きを辿れば気持ちが収まるのか、そのへんの心理機構をわたしなりに解釈してみる。



 まず急ぎつけ加えておきたいのは、たったいま、こうした心情は当然ながら世間の多くの人々と共通するものだろうと書き、現にそうと確信しているのだけれど、じゃあ、もしも同じような事故が起きたときに海外の国々でも「当然ながら」同様の反応が生じるだろうか? むしろ、それぞれの国によって受け止め方にばらつきがあり、とりわけ広大な大地のうえに成り立っている国では相当異なると思うのだが、どうだろう?



 そんなふうに考えるのは、念頭にブリテンのオペラ『ピーター・グライムズ』があるからだ。1913年イギリスの港町ローストフトに生まれた作曲家ベンジャミン・ブリテンは、多彩なジャンルで創作活動を繰り広げたが、第二次世界大戦終結の年の1945年に初演された『ピーター・グライムズ』が大成功を収めたのをきっかけとして、生涯に16のオペラをつくりあげ、20世紀最大のオペラ作曲家とも呼ばれている。とりわけわたしが注目したいのは、ヨーロッパの音楽史において最高の晴れ舞台とされるオペラが、イタリア、フランス、ドイツ・オーストリア、東欧・ロシア……と大陸の国々で発展してきたなかで、島国イギリスのほとんど唯一の本格的なオペラ作曲家がブリテンだったことだ。



 『ピーター・グライムズ』のあらすじをざっと紹介しよう。ある港町での物語。傲慢で人間嫌いの漁師ピーター・グライムズは、荒天の海に出漁して手伝いの少年を事故で死なせてしまう。裁判では無罪を認められた一方で、今後少年を雇わないよう命じられたものの、ピーターに理解を示す元教師エレンや元船長ボルストロードの支援もあって、あらためて孤児院から連れてこられた少年が働きはじめる。しかし、ピーターの荒っぽい扱いは以前のままで、エレンの忠告にも耳を貸さず、ついには危険な崖で少年が足を滑らせて転落死する。ふたたび起きた事故を受けて、ボルストロードは厳かに言い聞かせるのだ。



 「さあ、手を貸してやるから舟を出して、陸地が見えなくなるまで沖へ漕ぎだせ。そして、舟を沈めるんだ。わかったね、舟を沈めるんだ。さようなら、ピーター」



 作中では登場人物のすべての言葉が旋律をつけてうたわれるのだが、この場面だけは音符のないセリフで語られ、それだけにもはや抜き差しならない事態であることがはっきり伝わってくる。おそらくここに描かれているのは、四方を海に囲まれた偏狭な島国ならではの心理機構であり、法律では答えの出ない問題解決のドラマだろう。ブリテンは大陸の国々とはまったく別の「島国根性」というものを自覚していたに違いない。だからこそ同じ島国の日本にも強い共感を寄せて、能楽『隅田川』にもとづき、わが子を探し求める狂女を主人公としたオペラ『カーリュー・リヴァー』(1964年)もつくったのだろう。



 実のところ、このオペラの真の主役は港町の住人たちだ。かれらは裁判で不遜な態度のピーターに腹を立て、酒場で男も女も酔っ払ってはかれの生きざまを嘲笑い、新しく雇った少年が見えなくなると激高してピーターの小屋へ押しかける。だが、そんな連中もピーター本人の姿が消えてしまうといっぺんに関心を失い、沿岸警備隊が沖合で舟が沈没したらしいと告げても意に介さず、かつてと同じく平凡で活気のある日常を取り戻す……。そういうことなのだろう。ピーターには少年の死を招いたのは暴風雨や崖の急坂だったとの思いもあったが、もはやこの期におよんでは通じない、かれは町の連中のためだけでなく自己のためにも世間と訣別して、わが身を沈めることを宿命として受け入れたはずだ。



 かくして、池袋の自動車暴走死傷事故に関しての心理機構も解釈できそうだ。いつまでたってもわだかまりが解消せず、さらには矛先を「上級国民」や刑法の規定に向けてエスカレートさせようとする苛立ちは、いまやわれわれのだれもが忘れ果てたからではないだろうか、わが身を沈めるという所作を――。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍