ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第15番』

それは天才が
最後に眺める光景か


338時限目◎音楽



堀間ロクなな


 天才は一体、人生の最後にどんな光景を眺めるのだろう? そんなことを考えさせられるのが、ショスタコーヴィチの『交響曲第15番』だ。



 ソ連の共産党独裁のもとで苛烈な状況を生き抜いた20世紀屈指の天才作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが1971年、65歳の年に完成した最後の交響曲である。それまでのとかく息苦しいほどの緊迫感を漲らせた作品とは趣が異なり、いまや権力の呪縛から解き放たれ、融通無碍の境地にあって、気ままに自己の精神世界を逍遥するようなのどかさと、それだけに聴く者を安易に寄せつけない謎めいた雰囲気を湛えている。そのいちばんの特徴は、おびただしい引用から成り立っていることだ。



 冒頭にロッシーニの『ウィルアム・テル』の、あのだれでも知っている賑やかな一節が鳴りわたって以降、バッハ(BACH)の名前にちなんだ音型、ワーグナーの『ワルキューレ』、グリンカの歌曲、ハイドンの交響曲……のほか、自作の楽曲からのメロディもふんだんに現れ、果たしてどれだけの既存の素材がちりばめられているものやら、とうてい解き明かせないほど。さながら全4楽章が、ショスタコーヴィチの生涯に出会った音楽のパッチワークで、もはや引用と創作の区別は溶けて混然一体になっていると見なしたほうがよさそうだ。あまつさえ、5年前から心筋梗塞の発作に悩まされて入退院を繰り返していた作曲家は、おそらく死を予感しながらベッドの上でじっと耳を澄ませていたのだろう、点滴の輸液がポタリポタリと落ちてくる音さえも取り込んで、われわれをぎょっとさせるのだ。



 ヴォルコフが編纂したとされる『ショスタコーヴィチの証言』(1979年)には、さらにこんな記述も見出すことができる。「チェーホフの主題にもとづいた音楽をもっとたくさん書けたら、とわたしは思う。わが国の作曲家たちがチェーホフを避けているのは残念でならない。(中略)第十五交響曲はもちろん、完全に自立した作品であるとはいえ、そこには、『黒衣の僧』と多くのものが結びついている」(水野忠夫訳)――。すなわち、音楽の素材ばかりでなく、どうやらアントン・チェーホフの短篇小説の主題までもパッチワークに織り込まれているらしいのだ。



 『黒衣の僧』(1894年)は、いかにも不気味な作品である。少壮学者のコヴリンはおのれの才能を自負する一方、精神の不調にも見舞われて、故郷の田園地帯で静養するうちに幼馴染みの娘ターニャと結ばれる。そうした幸せな日々のさなか、かれだけに見える黒服をまとった僧侶が現れて哲学的な議論を交わすようになり、妻の懸命な働きかけにもかかわらず、夫は徐々にその幻影に呑み込まれていく。2年後、コヴリンが晴れて大学で講座を受け持つ運びになったときにはもはや衰弱しきって身動きできなかった。とうに妻とは離別して年上の情婦と暮らしていたものの、大量の吐血をして終焉を迎えようとするとき、かれは思わず「ターニャ!」の名前を声に出してしまう。そのあとに続く部分。



 「彼はターニャを呼び、露を浴びた豪華な花々の咲き匂う大きな花園を呼んだ。公園を、毛むくじゃらの根を、むき出した松並木を、裸麦の畑を、自分の素晴しい学問を、青春を、勇気を、喜びを呼んだ。あんなにも美しかった人生を呼んだ。顔のそばの床のうえに大きな血溜りを見、衰弱のためにもうひと言も言えなくなったが、名状しがたい無限の幸福が彼の存在を隅ずみまで満たしていた。バルコニーの下の階下ではセレナードを弾いていた。黒衣の僧は、彼の耳許で、彼が天才であり、彼がいま死んで行くのは彼のか弱い人間としての肉体がもう平衡を失って、これ以上、天才をおおう覆いの役に立たないからに他ならないとささやいていた」(池田健太郎訳)



 天才とナントカは紙一重。この驕慢と脆弱をコインの表裏にしたような主人公に対して、ショスタコーヴィチはよほど思い入れがあったと思われる。ことによったら、かれもまた黒衣の僧とひそかに懇意だったのかもしれない。そして、われわれ凡才には窺い知れないけれど、死を前にしてみずからの美しかった人生を回想するにあたって、花々の咲き匂う公園やら、毛むくじゃらの根やら、裸麦の畑やら、青春やら勇気やら喜びやら……と、おもちゃ箱を引っ繰り返したように、てんでんばらばらの断片が散乱しているありさまもわがものと見なしたのだろう。



 すなわち、『交響曲第15番』が示しているのは、天才からすれば音楽において、また、人生そのものにおいても、真の創造など戯言(たわごと)であり、しょせんできあいの素材を織り上げただけのパッチワークでしかないということか。恐ろしい見解である。


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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍