ベルリオーズ作曲『幻想交響曲』
芸術家とは
一体、何者だろうか?
560時限目◎音楽
堀間ロクなな
芸術家とは一体、何者だろうか? 詩人、画家、音楽家……といった職種の呼称とは別に、そこにはもっと根本的な創作態度への問いかけが含まれているようだ。おそらく近代日本でこのテーマに最も鋭敏な問題意識を持っていた芥川龍之介は、アフォリズム風のエッセイ『芸術その他』(1919年)をこう書き出している。
「芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。さもなければ、芸術に奉仕する事が無意味になつてしまふだらう。たとひ人道的感激にしても、それだけを求めるなら、単に説教を聞く事からも得られる筈だ。芸術に奉仕する以上、僕等の作品の与へるものは、何よりもまづ芸術的感激でなければならぬ。それには唯僕等が作品の完成を期するより外に途はないのだ」
芥川はみずからが芸術家であるとの強い自覚のもと、芸術に奉仕する者として自己の作品世界の完成をひたすらめざさなければならない、と表明しているのだ。こうした求道的な態度はわれわれ一般人にも理解しやすいものだろう。しかし、芥川より約90年前に芸術の国、フランスに生まれた作曲家のエクトル・ベルリオーズは「ある芸術家の生涯のエピソード」と題した『幻想交響曲』(1830年)で、世間に対してすでにまったく異なる芸術家の態度を突きつけていた。
この有名な作品がベルリオーズ自身の恋愛体験にもとづくことはよく知られている。かれが23歳のとき、イギリスの劇団がパリで行ったシェイクスピア公演に足を運び、『ハムレット』のオフィーリアを演じた女優ハリエット・スミッソンにのぼせあがって、猛烈な求愛行動に出たものの相手にされず絶望に突き落とされた。それから3年をかけて作曲された『幻想交響曲』にはつぎのようなプログラムが与えられ、この文章を演奏会場でわざわざ聴衆に配布したという。
「病的な感受性と燃えるような想像力をもつ若い音楽家が、恋に絶望し、発作的に阿片を飲む。麻薬は彼を死にいたらしめるには弱過ぎ、彼は重苦しい眠りに落ち、世にも奇妙な幻覚に包まれる。眠っている彼の病んだ頭のなかに、音楽的な想念やイメージを通じて、さまざまな感覚、感情、記憶が現われる。恋人さえも一本の旋律と化してしまい、いたるところに見えたり聞こえたりするイデー・フィクスのような存在となる」(池上純一訳)
イデー・フィクスとは同じ旋律を繰り返す「固定楽想」といった意味で、後世の作曲家に大きな影響をおよぼした。こうして、第1楽章では芸術家が情念の迷走にもてあそばれるうち、突如、恋人が出現したことの熱狂と不安がないまぜとなり、第2楽章ではそんな彼女の姿をさんざめく舞踏会に見出しておののき、第3楽章ではのどかな牧草地を散策しながら彼女の裏切りの予感に胸を締めつけられ、第4楽章では夢のなかで嫉妬に駆られて彼女を殺した罪でギロチン台へと引き立てられ、最終の第5楽章ではそんな芸術家を弔うために集まってきた魔女や怪物の群れがグロテスクに踊りまわる……。
いやはや、なんと剣呑な音楽だろう。だが、話はここで終わらない。実は、この作品に取り組んでいた当時のベルリオーズはピアニストのカミーユ・モークと恋愛中にあり、また、のちにはくだんのスミッソンと再会して焼けぼっくいに火がついてついに結婚を果たし、ひとり息子も授かりながら、すでに女優として落ち目となっていた妻とのあいだには冷え切った空気がわだかまり、たちまち別居・離婚へと向かっていく。こうした人生行路を眺めるにつけ、『幻想交響曲』の一途な芸術家と作曲者本人はまったく別人のように思えてくるのだ。
むしろ、野心あふれるベルリオーズは自己をモデルとしてスキャンダラスな作品をつくりあげることで世間の耳目を集めようとハナから目論んでいたのであり、今日の言葉を使うならそのプロモーションはまんまと図に当たり晴れて楽壇の寵児になりおおせたという次第だろう。こうした態度は、芥川龍之介が理想とした芸術家像とは正反対のものと受け止めるべきか。いや、あながちそうではないのかもしれない。前記のエッセイのなかには、こんな文言も見つかるのだから。
「芸術家は非凡な作品を作る為に、魂を悪魔へ売渡す事も、時と場合ではやり兼ねない。これは勿論僕もやり兼ねないと云ふ意味だ。僕より造作なくやりさうな人もゐるが」
果たして、芸術家とは何者だろうか?
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