セルバンテス著『ドン・キホーテ』

サンチョ・パンサの諺が

21世紀の日本政治にカツを入れる?


22時限目◎本



堀間ロクなな


 初めて『ドン・キホーテ』(1605-15年)を通読した。前後篇全6巻、牛島信明訳の岩波文庫版。とてつもなく面白かった! 毎日の通勤電車で読み耽り、久しぶりに駅を乗り過ごしたりもした。



 そこまで一心にページをめくらせる原動力となったのは、従士サンチョ・パンサの存在感の大きさだ。主人公の騎士ドン・キホーテを上回るとさえ言っていいのではないか。それが証拠に、この物語では当時のスペイン南部を舞台とした3度の旅の模様が記されているのだけれど、1度目は、ドン・キホーテがひとりで出発してすぐさま狂気の発作により3日で終わる。ついで2度目には、農夫のサンチョ・パンサが従士に雇われ、ふたりのコンビネーションはまだたどたどしいながら、にわかにドン・キホーテは生気を得て冒険に立ち向かう(有名な風車との格闘はこのときのエピソードだ)。しかし、ふたたび狂気の闇に沈んで2か月で断ち切られる。



 そして3度目の旅では、主従はすっかり阿吽の呼吸の間柄となり、ときに卑俗に、ときに高尚に、天空を翔けるかのごとく波瀾万丈の冒険が展開して4か月におよんだのち、無事に帰還する。すなわち、サンチョ・パンサの成長のダイナミズムが、ドン・キホーテを成長させ、あまつさえ物語そのものをめざましく成長させていったのだ。



  この最後の旅で、サンチョ・パンサは公爵領の島の領主もつとめる。その仕事に向けて出発するときに、ドン・キホーテが「サンチョ、話のなかに諺をやたらにごたごたと交ぜるというお前の癖、あれもやめねばならぬぞ」と忠告したのに対して、サンチョ・パンサが示した態度が凄まじい。逆に、あたかもマシンガンのように諺を繰り出して応じたのだ。わたしが通勤電車のなかで大笑いしてしまった、それらのいくつかを引用しよう。



・豊かな家なら、夕食の準備も早い

・警鐘を鳴らす奴は安全なところにいる

・判事の息子は気軽に法廷に立つ

・神は、御自分が愛しておいでの人間の家をご存じ

・金持のたわごとは、世間で格言として通る

・蜜におなり、そうすりゃ蝿がむらがり寄る

・親知らずと親知らずのあいだに、親指を突っこんではならぬ

・愚か者も自分の家なら、他人の家にいる賢者より物が分かる



 どうだろう? 21世紀の極東の島国でも、政治家は次から次へ「一億総活躍社会」「女性が輝く日本」「政治は国民のもの」「人づくり革命」……などとキャッチフレーズを連発しているが、そのレヴェルはこれらに遠くおよばないのではないか。いっそ、サンチョ・パンサの諺を借りて、もっと人心をつかむ政治が実現することを望みたい。



 要するに、こういうことだ。ドン・キホーテが騎士道物語に拠って旅に出たのなら、サンチョ・パンサのほうは世間知に拠ってその供をした。だからこそ、かれは時代錯誤の旅を自在にめぐり、現実には島の領主としても腕前を発揮することができたのだ。つまり、主従のどちらも自己の外側にあるイデオロギーに憑かれていたのでは同じだし、また、そうである以外にひとは日々の生活を営んではいけないだろう。もし自己の外側にあるイデオロギーに憑かれることを狂気と呼ぶなら、程度の差はあれ、われわれのだれだって狂気を生きていると言えるのではあるまいか。それが、この偉大な世界文学の説くところだと思う。


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍