美空ひばり 歌唱『悲しい酒』

芸能界の女王が流した
涙の意味するもの


 645時限目◎音楽



堀間ロクなな


 これまで古今東西の女性歌手を耳にしてきて、わたしがひと声聞いただけでわかる歌手を挙げるなら、マリア・カラス、エディット・ピアフ、美空ひばりの3人だ。その美空ひばりの歌唱のなかでとくに胸に刻み込まれているのは『悲しい酒』で、自分とって「ザ・昭和」というべき一曲に他ならない。



 小学生だったころ、東京・小平市の都営住宅で家族4人が固唾を呑んでテレビの歌謡番組に見入っていたことを思い出す。白黒の画面では美空ひばりがすっくと立って『悲しい酒』をうたい、やがて両目から光るものがこぼれ落ちると、わたしと弟が「泣いた、泣いた」と囃したて、父親が「こういうひとは自由に涙を出せるのさ」とクチバシをはさみ、母親は黙ってもらい泣きしているのだった。



 石本美由紀 作詞/古賀政男 作曲によるこの歌は、もともと、1960年に北見沢惇という歌手のためにつくられたが埋もれていたものを、レコード会社の発案でカバー曲であることを伏せたまま、1966年に美空ひばりが録音したところ大ヒットしたというから、いくら詞と曲が優れていたにせよ、結局は歌唱力がものをいった実例だろう。翌年には、美空ひばり本人のアイディアで間奏部分にセリフが挿入された。



 あの人の面影

 淋しさを忘れるために

 飲んでいるのに

 酒は今夜も私を

 悲しくさせる



 実演では、このセリフを口にするたびに涙を流すのが評判となって、いっそう人気を博したのも当然だろう。あたかも厳かな儀式に参加するかのように、テレビの画面を見守ったのはわが家だけの光景ではなかったはずだ。



 『悲しい酒』の発表から5年後、芸能生活25周年を機に美空ひばりが執筆した『ひばり自伝』(1971年)には、ただ1か所だけ、酒にまつわるエピソードが出てくる。この本では、素顔の「加藤和枝」と芸能界の女王の「美空ひばり」がはっきりと書き分けられているのだけれど、その加藤和枝がかつて日活のスター俳優・小林旭に恋心を抱いて結婚への夢をふくらませたところ、彼女とは「一卵性親子」の間柄だったという母親・喜美枝が強く反対したときのことだ。



 わたしは、だまったまま台所へ行きました。何もかも忘れてしまいたい、もうみんないやだ。

 冷蔵庫をあけるとビールが入っていました。わたしは、いままでやったことのないこと――昼日中からお酒を呑んでやろう、と思いました。ビールとコップを持つと、わたしは二階の自分の部屋に入りました。〔中略〕

 一口飲みました。苦い。

 とたんに、大粒の涙がボロボロとこぼれてきました。こらえようとしてもとまりません。あとからあとから流れ出してくるのでした。わたしはこらえようとしてこらえられず、反対に、声を出して泣いてしまいました。



 どうだろう? ここにいるのは、世間知らずの初々しい乙女ではないか。念のため断っておくと、著者は決して無邪気を装っているのではない。敗戦直後に幼くして芸能活動に入り、小学校も満足に通えなかった彼女としては、これが精一杯の本音を吐露した文章だったろう。むしろ、こんなふうに捉えたほうがいいのではないか。恋の悩みに突き動かされてビールのひと口に泣きじゃくった加藤和枝と、NHK紅白歌合戦のトリに立って『悲しき酒』を絶唱して日本じゅうの善男善女の目を釘付けにした美空ひばりが同一人物との途方もないギャップが、あの昭和という時代のドラマを形づくっていたのだ、と――。



 最後にもうひとつ、重大な疑問を呈しておきたい。冒頭に名前を掲げた3人の偉大な女性歌手、マリア・カラス、エディット・ピアフ、美空ひばりのいずれもが50歳前後で早逝していることには、なんらかの共通する理由があるのだろうか。 



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍