イーストウッド監督・主演『許されざる者』

そこに描かれた
60代の男の実像とは?


646時限目◎映画



堀間ロクなな


 男にとって、60代とはどのような年代なのか? 公私ともに「男盛り」が過ぎ去り、終着点へ向かって下り坂を辿りはじめるこの年代について、わたしもあれこれと想像をめぐらしてきたが、結局、現実に自分がそうした人生のターニングポイントに立ってみないかぎり本当のところはわからないと実感している。



 おそらく、西部劇『許されざる者』(1992年)で監督・主演をつとめたクリント・イーストウッドにもそんな思いがあったのだろう。企画の決定から撮影に入るまでに10年以上の間を置いたのは、かれが主人公のマニーと同じ60代になるのを待っていたせいといわれているからだ。その意味で、まさに主題は年齢だといえるだろう。実際、こうしてできあがった作品に対して、わたしは30代のときに見たときと、いま60代になって見返したときとではまるで別の映画のような印象さえ覚えるので、そのあたりに的を絞って記述してみたい。



 アメリカを二分した南北戦争の終結から十数年後、カンザスの田舎でマニーは幼い息子と娘とともに豚を飼って暮らしていた。かつては極悪非道のアウトローで、初老になってからの結婚を機に真人間になったのだが、妻が天然痘で死んだあとすっかり生活に窮していた。そこへワイオミングの町で娼婦たちが仲間をナイフで切り刻んだカウボーイに報復するため、その首に1000ドルの賞金をかけたという情報が舞い込み、かれは子どもたちの将来の資金を手に入れようと出向くことを決意する。ところが、久しぶりに銃の試し撃ちをすれば弾の行方定まらず、馬に乗ろうとすればあっけなく振り落とされる始末――。



 かつてのわたしは、こうしたブザマさに苦笑するばかりだったが、いまは受け止め方が百八十度変化したことに気づく。このときマニーは昔日のとおり身体が動かないことに戸惑う反面で、ある種の快感を覚えていたのではないか。なぜなら、うまく銃が取り扱えない、馬を乗りこなせないとは、それだけ銃や馬の呪縛から解き放たれたことを意味するのだから。かくいうわたしも、サラリーマン生活を終えて1年が経ち、いまではスーツを着込んでもどこかサマにならず、何かの都合で通勤時間帯の列車に乗りあわせると息苦しくなるほどだが、そんな不甲斐なさをほくそ笑んでいる自分もいるのだ。



 ともあれ、子どもたちを家に残して2週間の予定で出発したマニーは、悪党時代の相棒だった解放奴隷のネッド(モーガン・フリーマン)のもとに立ち寄って、久しぶりの仕事にふたたび手を貸してもらうことに。その道すがら、ふたりは並んで馬に揺られながら、ネッドが口火を切ってつぎのような会話を交わす。



 「たまには商売女を買いに行くのかい?」

 「まさか。死んだ妻が眉をひそめるよ。それにオレは父親だしな」

 「じゃあ、手で?」



 この瞬間、まじまじと相手を見返したマニーの顔つきといったら! もとより、やみくもな性の衝動はもはや遠くなったにせよ、すっかり枯れきったわけでなく、その余剰を外で解消しない以上、どうしたって内で自分の手によって処理しなければならない。だが、親友同士のあいだであっても、この期におよんでマスターベーションのことなど話題にできないという、思春期のウブな時代に立ち返ったかのような、60代の男の恥じらいの表情がそこに見て取れるのだ。



 かくて、ワイオミングの町に到着したマニーらは首尾よく目的を果たして、娼婦たちの賞金を手に入れたものの、そこでとんでもない事態が出来する。これを違法行為と見なした強権的な保安官(ジーン・ハックマン)がネッドを捕まえて拷問で死なせたばかりか、見せしめにその死体をさらしものにしたのだ。怒り心頭に発したマニーはたちまち極悪非道の本性をよみがえらせて、保安官以下の町の連中にライフル銃を向けると、相手が丸腰であっても片っ端からぶっ放して、映画は血しぶき飛び散る殺戮のクライマックスを迎える……。



 しかし、しょせん絵空事だろう。たとえ相棒の命を奪われたとしても、60代の男がこんなふうに復讐に立ち上がることは考えられない。それは気力・体力の衰えが理由というより、いったん保安官を殺めたら地の果てまで追跡されて残りの人生に平安は望めず、一方でカンザスの家にはまだ幼い息子と娘が待ち受けている現実があるわけで、双方の重みを天秤にかけないではいられないからだ。実際のマニーはとぼとぼと家路を辿りつつ、頭のなかで仇敵を血祭りにあげるさまを夢想しただけのはずで、せめてもそれを映像に描いてみせたのは、イーストウッド監督の60代の男たちへのはなむけだったのに違いない。 



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍