コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険 まだらの紐』
そこに架空の
毒ヘビが出現したワケ
647時限目◎本
堀間ロクなな
今年(2025年)は巳年ということで、マスコミがヘビにまつわる話題をあれこれと取り上げたが、わたしが目にしたかぎり、アーサー・コナン・ドイルの手になる『シャーロック・ホームズの冒険』(1892年)のなかの一篇、『まだらの紐』への言及はなかったようだ。まあ、ヘビを殺人の道具に使ったという内容だから避けられたのもやむをえないけれど、しかし、ドイル自身がこの作品をホームズもののベストに挙げているし、ファンの人気投票でもしばしば第1位となってきたから、世界に広く知られているヘビといえば、おそらく「エデンの園」のヘビに次いで、この『まだらの紐』のヘビではないだろうか。
事件は1883年の春に起きたとされ、つまり、明治憲法の制定準備のために伊藤博文らの一行がイギリスをはじめヨーロッパ各国を歴訪していたころのことだ。ロンドン郊外の古い屋敷に住むグリムズビー・ロイロット医師が、かつて植民地のインドで知りあった妻の亡きあと、その双子の姉妹への財産分与を阻止しようと殺害を企てたのだ。
「紐よ、まだらの紐よ!」
先に犠牲となった姉が死の間際に残したこの不気味なダイイング・メッセージをめぐってストーリーは展開していき、恐怖に駆られた依頼人の妹になり代わって、ホームズと相棒のワトスンが深夜の屋敷に忍び込み、彼女の寝室で謎の事態を待つ運びに。そして、いよいよその瞬間がやってきた。
「見たかい、ワトスン。見ただろう?」
そう声を発したホームズは、義父が姉に続いて妹までもインド産の「沼毒ヘビ」によって死へ追いやろうとした密室犯罪のトリックを暴いたばかりか、手にした鞭でまだら模様のからだを激しく打擲したために、小動物は逆上して取って返し、飼い主を襲って絶命させるという結末をもたらした。こんな言葉とともに。
「グリムズビー・ロイロット医師が死んだということについては、まぎれもなく、ぼくに責任がある。まあ、間接的にだけれどね。しかし、そのことで、良心がひどく痛むことはないと思うね」
ところで、日本シャーロック・ホームズ・クラブを主宰する小林司・東山あかね夫妻が翻訳した河出書房新社版『シャーロック・ホームズ全集』には詳細な注釈がついていて大変重宝するのだが、その『まだらの紐』の項によれば、インドには2種類の毒ヘビがいるものの、いずれも本文が描く「沼毒ヘビ」の特徴に合致しないらしい。こうした架空のしつらえは、ドイルがストーリーを組み立てるうえに都合よくデッチ上げたというより、人類の潜在意識にひそんでいるヘビのイメージを採用した結果ではないか、とわたしは睨んでいるのだ。
ジークムント・フロイトがウィーン大学の講義録『精神分析入門』(1916~17年)で、夢の分析にあたり、ヘビを男性の性的象徴と見なしたことはよく知られている。この所説にしたがうなら、ロイロット医師が義理の娘たちを殺すためにヘビを用いたのは、そこにかれのセクシュアリティが強く作用していたことを示唆し、ホームズがすかさず鞭をふるったのは(わたしも股間に鋭い痛みを感じてしまうのだけれど……)セクシュアリティそのものを断罪したことを意味しよう。
極東の島国がようやく立憲国家に向けて第一歩を踏みだしたころ、イギリスでは男性中心社会からの脱却をめざして婦人解放運動が高々と狼煙を上げ、間もなく女性参政権協会全国連盟(NUWSS)が結成されようとしていた。すなわち、ホームズが男性の性的象徴たるヘビを打ち据えて、「良心がひどく痛むことはない」まま、横暴なセクシュアリティの息の根を止め、その魔手から女性を救いだしたことで、『まだらの紐』はたんに推理小説の面白さにとどまらず、新たな時代の社会思潮のカリカチュアとして、一連のシリーズのなかでも特別な地位を占めたのではないだろうか。
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