内田吐夢 監督『どたんば』

八潮市の道路陥没事故の
報道に欠けているもの


651時限目◎本



堀間ロクなな


 埼玉県八潮市の道路陥没事故から10日あまりが経過して、いまなお行方不明となった74歳のトラック運転手の安否さえ確認できない状況が続いている。突如地面に口を開けた巨大な穴へトラックが転落する瞬間の記録はわたしを戦慄させたが、しかし、このあとに続く連日の事故現場からのニュース映像を眺めながら奇妙な戸惑いを覚えてきた。もとより、そこでは命懸けの救助活動が行われていることはわかるものの、テレビの画面からさっぱり切迫感や悲壮感が伝わってこないからだ。



 一体、どうしたことだろう? まるでマスコミ報道がすっかり不感症となってしまったかのような印象。それがもしわたしの思い過ごしでないとしたら、ことは下水道管の経年劣化よりも重大な問題ではないか。



 内田吐夢監督の『どたんば』(1957年)は、時代背景が違うとはいえ、このたびの道路陥没事故と重なりあうテーマを扱った映画だ。岐阜県の美濃平野に点在する小規模な亜炭発掘場のひとつで、豪雨にともなう落盤事故が発生し、地下38メートルで作業中だった坑夫5名が取り残され、かろうじて水没を免れた切羽に避難したものの、刻々と死の足音が近づくなかで、かれらを救出するまでの5日間のドラマがドキュメンタリー・タッチで描きだされていく。



 そこで、あえて八潮市のケースと対比させながら成り行きを追ってみよう。まず、事故の対応に際して、零細事業主の須永(加藤嘉)に当事者能力がないのは明らかで、ただちに通産省名古屋保安監督部の吉川監督官(斎藤紫香)が出張して責任者として陣頭指揮を取り、マスコミの取材には人命救助を最優先に取り組むことを宣言し、そのためにざっと10時間を要するだろうと見通しを告げる。一方で、生き埋めになったベテラン坑夫の伴野(志村喬)ら5名の氏名を公表し、かれらの家族を近くの宿舎に集めて逐一経過を報告する。このあたり、八潮市のケースにおいては相応の理由があるにせよ、救助活動の現場責任者の顔が見えないばかりか、トラック運転手の氏名さえ公表されていないこととは著しい対照をなしている。



 こうした枠組みのもとで、警察・消防に加えて、周辺の亜炭発掘場で働く労働者たちに協力を呼びかけ、「朝鮮の衆」までもが駆けつけて、総勢300人をもって救助作業に立ち向かうことに。ところが、あいつぐ不測の事態に作業は難航して、無為のうちに1日、2日と経過していく。やがて5名の避難先と見られる切羽の炭酸ガスが致死量に達するタイム・リミットの迫るなか、救助活動の人々のあいだには疲弊と相互不信が渦巻き、民族差別まがいのいさかいも生じて「朝鮮の衆」は立ち去り、憤怒に駆られた家族たちは死亡弔慰金の談判まではじめる始末。こうした絶望的な状況に、坑夫長の日下(外野村晋)は追いつめられて自殺未遂を図り、うろたえるばかりだった事業主の須永はようやくこう覚るのだった。



 「おれたちがやってきたことはホンモノじゃないのかもしれんで」



 かれがその言葉を吉川監督官に伝えると、相手もまた深く頷くところがあり、この発掘場の構造を知悉する新たなメンバーも迎え入れて、これまでとはまったく別の方向から救助作業を再開する運びになる。そして、ふたたび近在の労働者や「朝鮮の衆」も立ち上がって、ついに現場での一致結束が実現して、デッド・ラインぎりぎりで苦難に耐えた伴野ら5名の救出を成功させる……。



 しょせん、映画のなかの「物語」ではないか、といわれるならば確かにそのとおりだろう。しかし、わたしは逆に気づくのだ。このたびの八潮市の道路陥没事故をめぐる報道では、人命という神聖なテーマを目の前にしながら、およそ「物語」がまったく欠けていることに。あるいは、阪神・淡路大震災(1995年)のあたりから、日本各地を襲ってきた大小の災害や事故に感受性が鈍麻してしまって、マスコミもわれわれも「物語」を見出そうとする想像力を失いかけているのかもしれない。だとしたら、それこそがはなはだ危うい事態ではないだろうか?  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍