ロバート・デ・ニーロ主演『レイジング・ブル』&ソル・ギョング主演『力道山』

なぜ俳優たちは体重を
20㎏以上も増やしたのか?


653時限目◎映画



堀間ロクなな


 先だっての人間ドックで、わたしは前年より体重が1㎏前後増えていたところ、それにともなって中性脂肪や血糖値の数値も上昇傾向だとして減量を指導された。ほんのこのくらいの変化でも体内のバランスが左右されるのを知ると同時に、であるなら、映画の役づくりのために20㎏以上も体重を増やしてのけた俳優たちは命懸けで仕事に取り組んだことに思い当たった。そのひとりはロバート・デ・ニーロであり、もうひとりはソル・ギョングである。



 マーチン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』(1980年)で、デ・ニーロが扮したのは実在のアメリカのボクサー、ジェイク・ラモッタだ。貧しいイタリア系の家庭に生まれたかれは、太平洋戦争の時代にプロ・デビューするとタフなファイトで人気を博すかたわら、妻がありながらブロンドの少女ビッキー(キャシー・モリアーティ)に入れあげて後妻に据えたり、マフィアの興行主トミー(ニコラス・コラサント)の差し金で八百長試合に手を染めたりしながら、出世の階段をのしあがり、ついに世界ミドル級チャンピオンの座に就く。



 その「ブロンクスの怒れる牡牛(レイジング・ブル)」というあだ名にふさわしい生きざまを、デ・ニーロは鍛えあげた筋肉質のからだで精悍に演じていく。そして、さらにめざましいのは、ラモッタが2度のタイトル防衛を果たして1954年に引退したのち、フロリダで自分の名前を冠したナイトクラブの経営をはじめ、すっかり肥満してかつての面影もない姿となったところで、デ・ニーロが体重20㎏以上を増やして実際に別人のようなぶざまな肢体を披露してみせたことだ……。



 もう一方の、ソン・ヘソン監督の『力道山』(2004年)で、ソル・ギョングは日本の植民地時代の朝鮮に生まれたキム・シルラクに扮した。貧しい故郷を逃れて東京の相撲部屋に入門したかれは、芸妓の綾(中谷美紀)を妻に迎え、大物ヤクザの菅野(藤竜也)の支援を受けて力道山を名乗って番付を上げていくものの、太平洋戦争の終結後、大関昇進を民族差別の壁に阻まれたのを機に、一転してアメリカへ渡りプロレスの修行を積む。そして、1953年に日本プロレスリング協会を旗揚げすると、ちょうどテレビの放送開始のタイミングと重なって、かれの繰りだす「空手チョップ」がアメリカの白人レスラーを薙ぎ倒す光景に日本じゅうが熱狂して大ブームに。 



 そんな時代のヒーローを演じるにあたって、稀代の「カメレオン俳優」として知られるソル・ギョングもまた体重20㎏以上を増やして臨み、この前にイ・チャンドン監督と組んだ『ペパーミント・キャンディー』(2000年)や『オアシス』(2002年)での線の細い青年像とは打って変わって、小山のごとき巨体を躍動させてリング上で現役プロレスラーたちと真正面から渡りあってみせたのだ……。



 かれらは一体、どのような目的で増量に取り組んだのだろう? もちろん、映画の役柄にみずからを同化させようとしたのはわかるけれど、わたしが問いたいのは、じゃあ、こうした苛烈な役づくりをとおして何を伝えようとしたのか、ということだ。実は、ふたりの俳優はそれぞれのドラマのなかでただひとつだけ、同じセリフを口にする。



 「バカヤロー」



 デ・ニーロが扮するラモッタは、経営するナイトクラブで未成年者をホステスに使った容疑で逮捕されて、そのころには妻のビッキーもかれを見放し、孤独のうちに留置場の壁を拳で殴りつけながらこのセリフを吐く。バカヤロー。また、ソル・ギョングが扮する力道山は、プロモーターの菅野からプロレス界の世代交代のために一度だけ負け試合を命じられたものの、ご破算にした結果、最大の支援者に絶交され、すべてに疲れ切った妻の綾も去っていったのち、ひとり深夜の豪邸で呟くのがこのセリフだ。バカヤロー。それから間もなく、かれは酔っ払ってチンピラといざこざを起こしたあげくナイフで腹部を刺されて落命する。



 つまり、こういうことだろう。かつて太平洋を挟んで死闘を繰り広げた双方の国において、男どものとめどない野心とその愚かしい虚妄を暴きだすために、俳優たちは体重20㎏以上の命懸けの増量を必要としたのだ、と――。  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍