ワーグナー作曲『ジークフリート牧歌』

ほんの一瞬の
幸福の意味を問いかけて


655時限目◎音楽



堀間ロクなな


 今年(2025年)1月、大学時代以来のフルート吹きの友人が所属する新交響楽団の定期演奏会へ馳せ参じた。リヒャルト・ワーグナーの壮大な楽劇『ニーベルングの指環』全四部作の第三部、『ジークフリート』からの名場面集という、とてもアマチュアのオーケストラとは思えないほどの野心的なプログラム。新国立劇場で音楽ヘッドコーチをつとめる城谷正博の指揮のもと、片寄純也(テノール)、池田香織(ソプラノ)、升島唯博(テノール)の三歌手を迎えて、絢爛たるステージを繰り広げたのである。



 最大のクライマックスは、第3幕第3場の「ブリュンヒルデの目覚め」の場面だった。父親である主神ヴォータンの計らいによって、燃えさかる炎をバリケードとして長い眠りについていた女戦士ブリュンヒルデのもとに、かつて彼女が命を救った若き英雄ジークフリートがやってきて目覚めさせる。いまやおのれの身を守るものを持たないブリュンヒルデは恐怖に駆られたものの、少しずつ心を開いて、やがて幸福の歓喜をうたいはじめるころにはわたしの頬を熱い涙が濡らしていたのだった。



 永遠に、昔も今も

 永遠に、甘く憧れに満ち

 あなたの幸せを願ってきました!

 ジークフリートよ、輝かしい人よ、世界の宝よ!

 大地の生命よ、朗らかな英雄よ!

 (天野晶吉訳)



 ワーグナー自身、このシーンがよほど気に入っていたのだろう。同じメロディを使って管弦楽曲をこしらえたくらいだから。長年にわたり不倫の関係にあった、フランツ・リストの娘で指揮者ビューローの妻だったコジマとついに結婚が叶い、1869年に待望の長男が生まれると、かれは作曲中だった楽劇にちなんでジークフリートと名づけたのみならず、そこから独立させた演奏時間約20分の曲をつくりあげて、翌年のクリスマスの朝、スイスのルツェルン湖畔にあった自宅へひそかに楽士たちを集め、コジマの誕生日(12月24日)のプレゼントとして披露して妻を感激させたのだ……。



 したがって、この『ジークフリート牧歌』と呼ばれる作品は穏やかな幸福感に満ちており、ワーグナーのともすればコケ威しのような音楽を苦手とする人々でも、これだけは好むということがあるようだ。



 カナダが生んだ鬼才のピアニスト、グレン・グールドもそんなひとりだったのかもしれない。バッハの革新的な解釈によって世界じゅうのクラシック音楽のファンの度肝を抜いたかれは、およそ畑違いの『ジークフリート牧歌』をみずからピアノ独奏用に編曲して録音したばかりか、1982年9月に50歳で世を去る1か月ほど前には、なんと指揮者として14人のプレイヤーと演奏した録音も行った。もとより、ワーグナーが自宅で初演したときのスタイルに倣ったものだが、そこには自分の人生をがんじがらめにしてきたピアノの呪縛から解き放たれ、思いのままに音楽の花園で戯れているかのような姿があって胸を突かれてしまう。



 そのグールドはあるインタヴューによると、この曲の演奏の規範をハンス・クナッパーツブッシュに見ていたらしい。ドイツの偉大なワーグナー指揮者で、『ジークフリート牧歌』も複数の録音を残しているが、とくにわたしにとって印象的なのは、1963年5月の「リヒャルト・ワーグナー生誕150年記念コンサート」でウィーン・フィルと行った演奏のライヴ映像だ。このとき75歳だったかれは、長いタクトを手にしてなんの作為も感じさせないのに、オーケストラは次第に熱を帯び、悠然たる音楽の歩みの彼方からありありと「ブリュンヒルデの目覚め」の情景が立ち現れてくる。女戦士ブリュンヒルデと英雄ジークフリートは(主神ヴォータンを介して伯母と甥の関係にあたる)愛を交わしたのも束の間、やがて男の愚かなエゴイズムによって破局へと向かっていくのを予感させながら。



 クナッパーツブッシュの演奏はこう告げているようにさえ響くのだ。男と女はしょせんそうしたものではないか、だからこそ、ほんの一瞬の幸福がまばゆい輝きを放つのだ、と――。 



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍