チャップリン監督・主演『独裁者』

ロシアの大統領の
面影がそこに


656時限目◎映画



堀間ロクなな


 今日、チャップリン監督・主演の『独裁者』(1940年)を見返してみて、そこにロシアの大統領の面影を重ねてしまうのは、決してわたしだけではないはずだ。もとより、稀代の喜劇王チャールズ・チャップリン(1889年4月16日生まれ)が、同い年のナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒットラー(1889年4月20日生まれ)をモデルとしてこの映画をつくりあげたことは周知のとおりだが、とはいえ、たんに特定の個人を描くのではなく、独裁者という特異な人種の本質を暴きだそうとするものだったろう。



 チャップリンはこの作品で、第一次世界大戦に出征して記憶喪失をきたしたユダヤ人の床屋と、ヨーロッパの架空の国の独裁者ヒンケルの二役に扮している。もの静かな床屋は同じユダヤ人街の健気な娘ハンナ(ポーレット・ゴダード)と心を通わせながら慎ましく暮らし、一方、権力の絶頂にあるヒンケルはといえば、十字型の紋章がトレードマークの軍服をまとって猛烈な(意味不明の)演説をまくしたて、社会からユダヤ人を排斥することを命じ、いましも隣国への軍事侵攻に踏み切ろうと目論んでいた。そんなかれの心象風景を映像化した見事なシーンがある。



 「世界か、無か、全世界の君主!」(清水俊二訳)



 ヒンケルは執務室でひとりきりになると、そうつぶやいて幼児のような笑みを洩らし、(ヒットラーの愛好した)ワーグナーの『ローエングリン』の音楽をバックに、巨大な地球儀のバルーンを宙に浮かべて両手で弾き飛ばしたり、うつ伏せになって尻で跳ね返したりしてえんえん戯れるのだ。あたかも世界全体の命運を牛耳っているかのごとく……。それは、ウクライナ侵攻から3年が経過したいま、おのれの一挙手一投足に世界じゅうの耳目が集まっているのを自覚しているだろう、ロシアの大統領の心象風景でもあるような気がしてならない。



 こうしたヒンケルのもとに、もうひとりの独裁者ナバロニ(ジャック・オーキー)が訪れる。いうまでもなく、ナチス・ドイツと同盟関係にあったイタリアの国際ファシスト党の頭目、ベニート・ムッソリーニがモデルだ。両者は盟友同士の間柄なのだが、その実、相手より少しでも優位に立とうと、おたがいに自分の腰かけた椅子をどんどん高くしていくうち頭が天井につかえてしまうというパロディは、近い将来に予定されているらしい、アメリカの大統領との対面会談の戯画でもあるかのような……。こうして眺めていくと、チャップリンが第二次世界大戦のただなかで発表した作品に当時の人々が面食らったのと同様、われわれもまた、とうてい無邪気に笑い飛ばすことができそうもないのだ。



 映画のクライマックスは、ユダヤ人の床屋によるあまりにも有名な6分間の演説だ。姿形がそっくりなせいで、かれは独裁者ヒンケルと間違えられて党大会の壇上に立ち、全世界がその発言に固唾を呑むなかでラジオ演説に臨むはめになり、われ知らず、つぎのような言葉を迸らせる。



 「人生は自由で楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。スピードも意思を通じさせず、機械は貧困の差を作り、知識を得て人類は懐疑的になった。思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた。知識より思いやりが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る。航空機とラジオは我々を接近させ、人類の良心に呼びかけて、世界をひとつにする力がある。私の声は全世界に伝わり、失意の人々にも届いている。これらの人々は罪なくして苦しんでいる。人々よ、失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ!」



 そして最後には、愛するハンナに向かって呼びかけ、その声は祖国を追われて大地に泣き伏していた彼女のもとにも届いた。



 「輝かしい未来が、君にも、私にもやって来る。我々すべてに! ハンナ、元気をお出し!」



 独裁者ヒットラーより32年長く生きた喜劇王チャップリンが世を去ってから、すでに半世紀あまり。果たして、21世紀の現在、全人類に対してふたたびこうしたメッセージが発せられることはあるのだろうか?



 【追記】

 1930年代後半のハリウッドでは、この『独裁者』とほぼ並行して、鳴り物入りの超大作『風と共に去りぬ』の企画・製作が進行していた。その主人公の闘うヒロイン、スカーレット・オハラ役には当初、ポーレット・ゴダードが有力視されていたものの、チャップリンとの婚姻によらない同棲関係が問題となって、この大役を逃したといわれている。そうした経緯を踏まえると、ユダヤ人の床屋のラジオ演説を耳にして、(いまや独裁者の愛好から解き放たれた)ワーグナーの『ローエングリン』の音楽をバックに、ハンナが力強く立ち上がり、満面に希望の光を漲らせるラストシーンは、チャップリンがゴダードのために造型したもうひとつのスカーレット・オハラ像のようにも見えてくるのである。  


 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍