小島芳子 演奏『ベートーヴェン 初期クラヴィーア作品集』

才能のまばゆい光芒と
その背が負った重い宿命と


659時限目◎音楽



堀間ロクなな


 久しぶりにCDの棚を整理していたら、懐かしいアルバムと再会して手が止まった。フォルテピアノ奏者の小島芳子による『ベートーヴェン 初期クラヴィーア作品集』。いまから30年ほど前、このCDが発売されたときはレコード情報誌などでずいぶん話題となり、わたしもさっそく買い求めて、これまで耳にしたことのないきらびやかな演奏の輝きに驚嘆したものだ。しかし、まるで彗星のように、といったら陳腐な形容だろうか。われわれの前に突如出現したその輝きは、たちまち姿を消してしまったのだ。



 小島芳子は、1961年福岡に生まれ、桐朋学園大学ピアノ科を卒業後、オランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学する。古楽復興運動の拠点のひとつだった当地において、モダンピアノの前身であるフォルテピアノを学んで、1989年に帰国。やがて著名なフォルテピアノ製作家、クリストファー・クラークに注文したヴァルターモデルの楽器を手に入れると、満を持して1996年に録音したのが上記のCDで、これにより日本のみならず、国際的な評価を得たのだった。



 その後も意欲的に演奏・録音活動を行うかたわら、東京芸術大学や東海大学で後進の指導にあたっていた小島は、思いがけない悲運に見舞われる。家族がネットに公開している「小島芳子のサイト」によれば、2002年に自宅の階段から落ちて骨折し、その治療中にレントゲン写真で肺に影が見つかり、肺腺がんと診断された。以降、左肺下葉切除の手術や過酷な抗がん剤治療を受けながら懸命に仕事を続けたものの、2004年5月1日に永眠したという。43歳だった。



 そんな小島が残した代表作ともいうべき『ベートーヴェン 初期クラヴィーア作品集』は、楽聖が20代から30代のはじめにかけてクラヴィコード(フォルテピアノ)のためにつくった作品を選んで演奏したもの。モダンピアノの金属的で逞しい響きではなく、フォルテピアノならではのアクション、ハンマーともに軽やかな反応が生みだす音のパレットの幅広さによって、いっそうベートーヴェンの革新性が露わにされるのだ。はじめの『ソナタ第8番〈悲愴〉』では、繊細きわまりない彩りと地鳴りのような轟きの対比が凄まじく、ついで『サリエリのオペラ〈ファルスタッフ〉から、アリア「まさにその通り」の主題による10の変奏曲』では、あのモーツァルト毒殺説の主役で、ベートーヴェンの師でもあったサリエリの作品にちなむ変奏の数々がユーモラスに奏でられ、『ソナタ第1番』では、これからまさに世界を征服してやろうとする新進作曲家の気概がストレートに伝わってくる。



 そして、結びは『7つのバガテル』だ。小島はCDのライナーノーツに「ベートーヴェンと私」と題した文章を寄せて、自分はもともとベートーヴェンが好きではなかった、音が濁って耳ざわりだからだと書き出し、ところが、フォルテピアノで弾いてみると印象が変わった、そのがむしゃらな力強さや無骨なユーモア、反対にものすごくやさしく内気ともいえるロマンティシズムが身近に感じられるようになったとして、この曲目についてつぎのように記している。



 「最後の『7つのバガテル』は、『つまらないもの』という意味で、肩の力の抜けた小品集である。しかし内容は『つまらない』どころではない。たのしげにピアノとたわむれるベートーヴェン、やさしく語りかけていたかと思うと、とてつもない大はしゃぎ・・・そんな素顔の魅力にあふれたベートーヴェンがそこにいる」



 実際、それぞれがほんの2~4分ほどの小品たちはソナタや変奏曲といった形式に縛られず、フォルテピアノの演奏の向こうから、若き天才の頭のなかにほとばしる楽想をそのまま解き放ったようなイマジネーションの世界が立ち現れるのだ。しかし、かれがこの作品を完成させた1802年の秋には、宿痾の聴覚障害がさらに進行して、もはや自殺さえ考える心境に追い込まれて「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためるに至っている。すなわち、ここにあるのは才能のまばゆい光芒と同時に、その背が負ったあまりにも重い宿命であり、両者のきわどい交錯がわれわれを揺さぶるのに違いない。



 音楽の神ミューズとは、ときになんと残酷な振る舞いをするのだろう? それはまた小島芳子にも通じるものであったことを思い知らされて、いまあらためてこの一枚のCDを聴きながらわたしは目頭が熱くなるのだ。  



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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍