安部公房 著『他人の顔』
なぜわたしは
笑顔を作れないのか
660時限目◎本
堀間ロクなな
「笑ってください、もっと……」。このあいだ、わたしの66回目の誕生日にあたり、身内が近くのフランス料理店で祝いのランチ会を開いてくれたのだが、食後に記念写真を撮る段となった際、カメラをかまえたホールスタッフの女性が中央に座るこちらに向かってそう告げてきた。で、懸命に作り笑いをしたものの、もっと、もっと……と言われて。またか、と思った。年齢を重ねるにつれて、こうして記念写真の撮影のたびに注文をつけられるケースがいや増したのだ。
本人はにこやかに笑っているつもりなのに、相手は笑顔と受け取らないらしい。いや、相手ばかりではない。当の本人のわたしですら、できあがった写真を前にして笑顔とは思えないどころか、何やら苦悶しているような表情を浮かべた見ず知らずの人物の顔にしか見えないのだ。これは一体、どうしたわけだろう?
そこで、脳裏によみがえってくるのは、安部公房の『他人の顔』(1964年)の一節だ。高分子化学研究所の所長代理をつとめる「ばく」は、液体空気の爆発事故で顔面がやけどしてケロイド瘢痕を負ってしまう。自分の顔を喪失したかれは、最新技術によりプラスチック製の仮面を作成して新たな顔を手に入れようと企て、ついに「毛穴や、汗腺や、局部的な組織の崩れや、細かい静脈の枝まで」再現した完成品ができあがり、それを接着剤で顔面に張りつけた。すると――。
まず手始めに、唇の端に力をいれ、ほんのわずか左右に引いてみる。なかなかよろしい。方向性をもたせた繊維を重ね合わせるという、やっかいきわまる解剖学的配慮も、あながち無駄ではなかったようだ。力を得て、こんどは本式に作り笑いを浮べてみることにした。……ところが、仮面は、少しも笑ってはくれなかったのだ。ただぐにゃりと歪んだだけだった。鏡が歪んだのかと思ったほどの、変てこな歪みかただった。じっとしていたとき以上に、死の気配が充満していた。ぼくはうろたえ、内臓の吊り紐が切れて、胸のあたりが空っぽになってしまったような気がしたものだった。
ここに描写されているのは、まさしくいまわたしが直面している事態と重なるものだ。ということは、つまり、生まれつきの顔がいつの間にか不如意な仮面と化してしまったのかもしれない。果たして、それは何を意味するのか?
わたしはひそかに、この小説は仮面という道具立てをめぐって、安部公房の1歳下の作家、三島由紀夫の『仮面の告白』(1949年)と兄弟関係にあるものと考えている。すなわち、近代日本の私小説を反転させる形で三島が『仮面の告白』を書き、それをさらに反転させる形で安部が『他人の顔』を書いたのではないか、と。のちに両者が『文藝』誌上で行った対談『二十世紀の文学』(1966年)において、三島がことさら『他人の顔』を俎上にのぼせたのもひとつの証左となろう。かれはこの作品が自己と他人の関係を導きだしたことに注目して、現代の小説がとかく「隣人とも他人ともつかない人間関係」を通例としているのと対比しながら高く評価し、それに対して安部はこんなふうに応じた。
「つまり他人からね、砂糖が溶けるみたいにさ、だんだん角がとれてくると、隣人化したような錯覚に陥るわけだよ。そうしてその疑似隣人だな。プソイド隣人となれあって、そのプソイドであることによって絶望したり、悲しがったりして、さわりができていくというような運びだろう。そこにはぜんぜん隣人に対する苦痛がない。隣人というものは、つまり許すべからざるものなのにね。これでも現代文学という名に値するかどうか、非常に疑問だね(笑)。だから私小説がいいか悪いかということではなくて、問題はその私が、どこまで隣人や他人と対決しているかなんだな」
この発言を踏まえるならば、『他人の顔』の「ぼく」が初めて仮面を装着したときに、笑顔がぐにゃりと歪み、死の気配を嗅ぎ取ったのも、おそらくは新たな顔を手に入れたことが隣人との邂逅を意味したからだろう。
このとき、ともに40代に差しかかったばかりのふたりの作家にとって、当然ながら老いにともなうアイデンティティ(自己同一性)の変容は関心の対象外だったに違いない。しかし、ひとはともすると、年齢によっても生まれつきの顔がそのまま仮面となり、自己の内に「苦痛に満ちた、許すべからざる」隣人が出現してくるのではないか? そう考えれば、わたしがいまやカメラの前で笑顔を作ることに難儀するのも理解できるような気がするのだ。
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