ポール・モーリア演奏『恋はみずいろ』

この一曲から
音楽を「所有」する遍歴が


662時限目◎音楽



堀間ロクなな


 中学生になって初めての夏休みに、夢のような電化製品をわがものとした。



 ポータブルカセットレコーダー。そのころ世間に登場したばかりの、手のひらサイズのカセットテープを記憶媒体とする録音・再生機で、中学生のあいだでは英語の学習に役立つ教育機材として普及しつつあったため、堂々と親にねだることができた。まあ、大方の中学生と同じく、わたしの心をときめかせたのも英語学習とは無関係だっただけに、ことさら熱心に電機店をまわって見較べたあげく、前面の斜めに開くホルダーでカセットテープを出し入れするという縦置きのタイプを選んで購入したのだった。



 いそいそと家に持ち帰って梱包函を開くと、目にも麗しい器械にはご丁寧にも試聴用のテープがついていたので、さっそくホルダーにセットしてみた。そのとたんにスピーカーから流れてきたのが、ポール・モーリアの演奏する『恋はみずいろ』だった。ああ、まさしく天にも昇る気分で、どれほど繰り返し聴いたことだろう!



 イージーリスニング界のスーパースター、ポール・モーリアは1925年フランスのマルセイユに生まれ、同地の音楽院を卒業後、パリに進出してスタジオ・ミュージシャンとして活動をはじめ、1965年にポール・モーリア・グランド・オーケストラ(約30名)を結成する。イージーリスニングのジャンルとは、いわばクラシックとポップスの中間に位置づけられようが、だからといって安直な音楽と見なすのは大いなる偏見に違いない。



 当時、レコード産業の主流をなしていたのは、「ドーナツ盤」と呼ばれた直径17㎝の円盤を45回転で再生するシングル盤で、片面5分間ほどの収録時間だった。つまり、ほんのこれだけの時間に、オーケストラの演奏で老若男女の耳を引きつけ、起承転結を経て満足させ、喜んでレコード代を支払わせるというのは並大抵のことではないだろう。



 そんなポール・モーリアが1968年に発表したのが、もとはピエール・クール作詞/アンドレ・ポップ作曲によるフランス語のポピュラー・ソング『恋はみずいろ』だった。



 水のように

 流れる水のように

 私の心は

 あなたの愛を追い求める



 このシャンソンを約3分間のオーケストラ曲にアレンジして「ドーナツ盤」が発売されるなり、全米ヒットチャートを5週にわたって独走し、世界じゅうでざっと500万枚を売り上げて、ポール・モーリアの名を轟かせた。そして、以後、『エーゲ海の真珠』(1971年)、『涙のトッカータ』(1973年)、『オリーブの首飾り』(1974年)などの大ヒット作の連発につながっていったのだ。



 したがって、わたしも折に触れて『恋はみずいろ』のメロディを耳にしてきたわけだけれど、あらためて自前のポータブルカセットレコーダーで聴くと、まったく次元の異なる音楽体験と出会ったような気がした。そこにはもちろん、パリを流れるセーヌ川のさざなみのきらめきを想像させずにはおかない、どこまでも澄みきったオーケストラのアンサンブルへの感嘆もあったが、それ以上にこうして音楽を自分の手の内に「所有」したことの実感によるものだったのではないだろうか?



 こういうことだ。わたしにとって音楽とは、これまで学校の授業で教えられる場合でも、テレビやラジオをとおして接する場合でも、自分の外部にあって君臨する存在だったのに、この小さな器械のおかげで、いつでもどこでも自分の意のままに享受できる資格を手に入れた。たとえ天才モーツァルトでも楽聖ベートーヴェンでも、カセットテープに収めてしまえばなんら恐れるに足りない。すなわち、音楽にというもの対して支配者となったことが、わたしにめくるめく陶酔を呼び起こしたのだと思う。



 かくして、この一曲からスタートしたわたしの音楽の「所有」の遍歴は、半世紀あまりが経過したいま、もはや収拾のつかない状態に立ち至っている。とっくにCDだけでも1万枚を超えてしまって……。 



 【追記】

  今回記事を書くにあたって調べてみたところ、ポール・モーリアの『恋はみずいろ』にはライヴを含めて複数の録音があり、後年になるにつれて恰幅が増し「セーヌ川」から「地中海」に近づいていくように感じられました。わたしとしては断然、1968年の初録音の演奏が魅力的です。 


  

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍