桑原武夫 著『第二芸術 ―現代俳句について―』

その論理の刃は
21世紀の日本にも向けられて


664時限目◎本



堀間ロクなな


・咳くとポクリッとベートヴェンひゞく朝

・爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り

・椅子に在り冬日は燃えて近づき来

・腰立てし焦土の麦に南風荒き

・防風のこゝ迄砂に埋もれしと



 フランス文学者の桑原武夫による『第二芸術 ―現代俳句について―』(1946年)は、日本の文学論争史上に特筆すべき一頁を刻んだ記念碑的な論文だろう。その冒頭部分で、桑原は作者名を伏せ、大家の俳人と無名の人々の15の俳句を並べたうえで、これらに優劣の差を認めがたいことを論じるのだが、とりわけ上記の5句については「私にはまづ言葉として何のことかわからない」と切って捨てた。順に、いずれも当代一流とされた中村草田男、荻原井泉水、松本たかし、臼田亞浪、高浜虚子の作品である。 



 かくして、俳句とは作者の名前を離れてはだれにも理解可能な価値がなく、いわば上位者と弟子の党派的な関係のうえに成り立つものであって、とうてい現代の人生に分け入って表現する芸術とはなりえないとし、桑原は皮肉交じりに、もし俳句が芸術の名を求めるなら「第二芸術」と呼ぶのがふさわしいと結論づけた。



 この意表を突いた見解が俳句の実作者ばかりでなく、世間一般のあいだにもかまびすしい反響を巻き起こしたことはむろんだが、それから80年ほどが経過した今日ではなにごともなかったかのように、俳句は立派な芸術の顔つきをして大手を振ってまかり通っている。あまつさえ、テレビでは、タレントたちがこしらえた俳句を女流俳人が毒舌をふるって添削しながら「才能」のランキングをつけていくといった番組が人気を博しているのも周知のとおりだ。



 であれば、昔日の問題提起はすっかり意味を失ってしまったのだろうか? わたしはそうは思わない。いまの目であらためて読み返してみると、ここには看過できない重大な論点が含まれていることに気づくのだ。



 そのひとつは、桑原はただ俳句だけを槍玉にあげていたわけではない点だ。「私は、日本の明治以来の小説がつまらない理由の一つは、作家の思想的社会的無自覚にあつて」と前置きして、「さうした安易な創作態度の有力なモデルとして俳諧があるだらう」と位置づける。すなわち、芸術の本来あるべき厳しい創作態度に欠けているとの観点に立つなら、俳句のみならず、現代日本の文学全体が「第二芸術」かもしれないと見なしているのだ。



 もうひとつは、だからといって俳句をことごとく否定するのではなく、元禄期に芸術として完成させた芭蕉の天才は認めたうえで、「一つの芸術形式が三百年間もそのまゝ続き得たといふことは、日本の社会の安定性あるひは沈滞性を示すものであらうが、明治以後日本の軍隊が近代装備をとりつゝも、その精神は封建のさむらひであつたと同じく、俳壇は雑誌を数万も印刷し、洋館のオフィスをもちつゝも、その精神は変らなかつた」と分析してみせた点だ。



 そう、この論文が太平洋戦争の敗戦の翌年に発表されたことの根底には、さらに奥深い問題意識が横たわっていたのである。日本が「鬼畜米英」に対して一敗地にまみれたのは、軍事力や経済力の面で劣っていたばかりでなく、芸術の力においても圧倒的な彼我の懸隔があったからではないのか、という自問だ。論考の終盤で、桑原は文化国家の建設が叫ばれていた当時、おそらく胸中に苦渋の思いを抱いてつぎの文章をしたためた。



 「芸術は自分たちにも楽にできる。たゞ条件がよかつたために作句に身を入れたものが大家といはれてゐるので、自分たちも芸術家になり得た筈だ、芸術はひまと器用さの問題だ。このやうに考へられるところに正しい芸術の尊重はあり得ず、また偉大な芸術は決して生まれない。〔中略〕近代芸術は全人格をかけての、つまり一つの作品をつくることが、その作者を成長させるか、堕落させるか、いづれかとなるごとき、厳しい仕事であるといふ観念のないところに、芸術的な何ものも生まれない。また俳句を若干つくることによつて創作体験ありと考へるやうな芸術に対する安易な態度の存するかぎり、ヨーロッパの偉大な近代芸術のごときは何時になつても正しく理解されぬであらう」



 どうやら、怜悧な論理の刃は21世紀に生きるわれわれに対しても向けられているようなのだ。果たして、現代の日本に芸術は存在するのか、と――。 

  

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