木下恵介 監督『楢山節考』
おりんとわたしの
顔が重なって見えたとき
665時限目◎映画
堀間ロクなな
「おりん!」
わたしの口から思わず、その言葉がこぼれた。先日、行きつけの歯科医院で、グラついていた上の前歯をいったん仮歯に置き換える治療を受けていたときのことだ。ポロリと前歯が抜け落ちたタイミングで手鏡を借りてのぞいてみたら、そこには木下恵介監督の『楢山節考』(1958年)で田中絹代が扮した老婆の顔があったのだ。
深沢七郎の小説を原作として、いにしえの姥捨伝説にもとづくこの映画の内容は広く知られているところだろう。舞台は、信州の山奥の小さな村。わずかな田畑があるだけで、つねに飢餓にさらされているここでは、口減らしのために70歳になったら「楢山まいり」と称して神さまの住むという山へ運ばれていくのが習わしだった。
主人公のおりん(田中絹代)もそろそろ70歳を数えるいま、年明けの正月には「楢山まいり」に向かうことを心に決めていた。そこで、先年妻を亡くしたひとり息子の辰平(高橋貞二)の後添えに隣村から後家の玉やん(望月優子)を迎える段取りをつけ、また、孫のけさ吉(三代目市川団子)がいつの間にか腹をふくらませた松やん(小笠原慶子)の居場所もつくってやって、後顧の憂いがないように準備を整える。そして、ついに当日がやってくると、あれこれ口実をつけて先延ばしにしようとする孝行者の辰平を叱咤して、その背中に負われて帰り道のない山路へと旅立つのだった……。
残酷な因襲がもたらす不幸の物語? わたしはそう思わない。思わないどころか、逆に現代のわれわれがすっかり忘却してしまった幸福の物語とさえ受け止めたい。木下監督は、浄瑠璃や長唄の語り、書割の背景など歌舞伎の様式を持ち込むことでリアリズムとは一線を画して、近代的な知性に邪魔されることなく、おりんがみずからの意思で人生に決着をつけようとするフォークロアとして描きだすのだ。そこでは死の観念が反転する。われわれはいつか自分に必ず訪れる死から目を逸らし、一刻でも先送りできることを幸福と見なして、実のところ、絶え間ない不安に怯えているわけだけれど、おりんはといえば、あらかじめはっきりと死期を思い定めたうえ、その一点に向かって自己の人生をくまなく完成させていくわけで、本来、これこそが幸福のあり方ではないだろうか。
そんなおりんにとっては「楢山まいり」に出向く前にもうひとつ、是が非でも片づけておかねばならない準備があった。歯だ。70歳にもなればすっかり歯がなくなってもおかしくないのに、よほど丈夫にできているらしく一本も欠けないままで、まるで食い意地が張っているかのようで肩身が狭く、村の子どもらからも「おばあの歯は33本あるら」などとからかわれる始末だったのだ。そこで、年に一度の祭りの日に、おりんはやむにやまれぬ挙に出たのだが、深沢七郎の原作ではつぎのとおり記述されている。
おりんは、ここで一世一代の勇気と力を出したのである。目をつむって石臼のかどにがーんと歯をぶっつけた。口が飛んでいってしまったと思ったほどしびれた。そうしたら口の中があたたかくなったような甘い味がしてきた。歯が口の中一ぱい転がっているような気がした。おりんは口から血がこぼれるのを手で押えてチョロチョロ川へ行って口を洗った。歯が二本欠けて口の中から出てきた。
「なーんだ二本だけか」
とがっかりしたが、上の前の歯が揃って二本欠けたので口の中が空っぽになったようになったので、うまくいったと思った。〔中略〕
祭り場に集っていた大人も子供も、おりんの口を見ると、わーっと逃げ出した。おりんはみんなの顔を見ると開いた口をまた閉(ふさ)いで、下の唇を上側の歯でかみしめて上側だけ見せようとをしたばかりでなく、見てくれとあごを突き出した上に血が流れているのだから、凄い顔になってしまったのである。
この情景を演じるために、当時48歳の大女優・田中絹代はあえて数本の前歯を抜いて撮影に臨み、ぽっかりと歯の欠けた血まみれの口で笑顔をつくってみせるところがいちばんのハイライトだといってもいいだろう。まさにその場面の顔と、わたしが歯科医院の椅子にもたれながら手鏡で確かめた自分の顔とが重なって見えたのだ。
かくして、わたしもおりんの年齢に近づいたいまになって覚ったのである。前歯のない顔つきには、もはや男と女のさしたる違いもないことを。さらにはまた、かつて歯があった個所の奥には黒々とした闇がわだかまって、最後に至福の境地へと至ったはずのおりんであれ、わたしであれ、どうやらひとはだれしも自己のうちに果てしない虚無の闇を呑み込んでいるらしいことを――。
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