バルトーク作曲『中国の不思議な役人』

その精緻な音楽には
燃えさかる「黄禍論」の響きが


671時限目◎本



堀間ロクなな


 中国の近代文学の扉を開いた魯迅が処女作『狂人日記』(1918年)で、中国人の心中にひそむ深い闇を暴いてみせた(前回の記事参照)のと前後して、まったく異なるアプローチによって中国人のいかにも謎めいたありようを描きだした作品が世に現れた。ハンガリーの劇作家レンジェル・メニヘールト(ハンガリーの人名は、中国や日本と同じく姓・名の順)の手になる一幕のパントマイム劇『中国の不思議な役人』(1917年)だ。本来なら不道徳なキワモノとしてすぐさま消え去る運命かもしれなかったところ、同じハンガリーの作曲家バルトーク・ベーラがこの台本にもとづく舞台音楽(1925年)をつくったため広く流布して今日に至っている。



 ざっとこんなストーリーだ。うらさびれたアパートの2階の部屋で3人のならず者と娼婦の娘がとぐろを巻いている。ならず者たちはカモの客から金品を強奪してやろうと手ぐすね引いて、娘を窓辺に立たせ、恋愛至上主義を唱える気取った老人や、娘の虜になりながら先立つもののない貧乏青年がやってきたのを追い返したあとで、弁髪のなりで高級服をまとい指には宝石をきらめかせた中国の役人が登場する。そこで、娘が誘惑のダンスを踊りはじると、かれは猛然と娘を追いかけまわし、ならず者たちが身ぐるみ剥いで首を絞めたり剣で突き刺したり、しまいにはロープで縛って宙吊りにしてもしぶとく娘を求めてやまず、全身から異様な光を放つ。ならず者たちは恐れおののき、娘がその弁髪の頭を胸に抱きしめて欲望を満たしてやるなり、かれは歓喜の呻き声を洩らしてようやく息絶える……。



 いやはや、不道徳以上に醜怪きわまりない内容というべきだろう。ところが、なぜかバルトークはよほど気に入ったらしく、精緻な技巧を凝らした8曲からなる計30分ほどのオーケストラ・ピースに仕上げて、われわれはこの音楽を耳にするだけでありありと情景が目の前に浮かびあがってくるのである。



 それにしても、文明の先進地ヨーロッパにおいて、なんだってこんな突拍子もない中国人の描かれ方がされたのだろうか? 実は、理由がある。原作者のレンジェルは、この『中国の不思議な役人』に先立って『颱風(タイフーン)』(1909年)という戯曲を書いて、そこではパリ駐在の日本の官僚たちが大勢登場して、天皇の御真影の前で直立不動の姿勢を取ってみせたりするなかで、諜報部員の主人公が恋のもつれから現地の女性を殺害してみずからも破滅する、という筋立て。すなわち、ふたつの作品は双子のような関係で、どちらも東アジアの国に暮らす連中の得体の知れなさを主題として成り立っていたのだ。



 周知のとおり、19世紀末から20世紀にかけてヨーロッパでは「黄禍論」が燃えさかった。ドイツ皇帝のウィルヘルム二世がしきりに黄色人種の脅威に警鐘を鳴らしたところに、日清戦争(1894~95年)や義和団事件(1900年)から日露戦争(1904~05)への歴史のうねりがあいまって燎原の火のごとく広がっていったわけだが、『颱風』や『中国の不思議な役人』もそうした当時の風潮が生み落としたものに他ならなかった。いわば、西洋と東洋のあいだにまだはるかな距離が横たわっていた時代の、いわれなき偏見にもとづく絵空事と見なせばいいのだろうか。いや、必ずしもそんな簡単な話ではなさそうだ。



 くだんの魯迅は、日本留学中にしたためた未完の論文『破悪声論』(1908年)のなかで、自分のまわりを取り巻く中国人学生仲間のある種の傾向について、つぎのように報告している。



 「今日の好戦的な志士たちを見渡すと、〔中略〕人類となる以前の性に戻ってしまった者もある。私はかつて、彼らの作った歌の中に、そのようなのを一、二見たことがある。その中で彼らはドイツ皇帝ウィルヘルム二世の唱えた『黄禍論』を引用し、豪傑気取りで、『ロンドンを焼き払い、ローマを覆し、パリを淫楽の地となさん』といった意味のことを、声を張りあげてわめきたてていた。『黄禍論』を唱えた者は、黄色人種を野獣になぞらえたが、しかしこれほどひどい言い方はしていなかった」(松枝重夫訳)



 もとより、血気にはやった青二才どもの大言壮語だったにせよ、ことさらヨーロッパの白人世界を見下して「淫楽の地となさん」とうそぶいてみせる態度には、『中国の不思議な役人』のグロテスクな中国人像を彷彿とさせるものがあるのではないだろうか。だとすれば、あながちただの絵空事と笑って済ますことはできまい。さらにまた、わたしは疑いたくなってしまう。果たして、こうした東西の応酬は1世紀を遡る遠い過去のエピソードに過ぎないのだろうか。それとも、バルトークの音楽作品が現代にあってさかんに演奏され高い人気を誇っているのは、実のところ、そこに黄色人種の得体の知れないイメージを重ねあわせて、いまなお「黄禍論」の響きを聴き取っている人々が世界じゅうに存在するからではないのか、と――。  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍