ジョン・フォード監督『タバコ・ロード』
「プア・ホワイト」の人々を
突き動かすものとは
672時限目◎映画
堀間ロクなな
アメリカの大統領が強大な権力の持ち主とはいえ、今日のドナルド・トランプ大統領ほど一挙手一投足に世界じゅうが翻弄される存在はかつてなかっただろう。そして、その岩盤支持層がいわゆる「プア・ホワイト(白人貧困層)」とされるからには、アメリカ社会の底辺をなすかれらこそ、いまや極東の島国に住むわれわれの生活さえも左右する原動力なのかもしれない。そんなかれらを突き動かすのは現実に対する激しい憤りだと報道されているけれど、もっと違った実情がありそうな気がするのは、ジョン・フォード監督の『タバコ・ロード』(1941年)を思い起こすからだ。
これは、1930年代初頭の南部ジョージア州を舞台に極貧の農民たちの姿を活写したアースキン・コールドウェルの小説(1932年)を原作として、ジャック・カークランドが劇に仕立て翌年ニューヨークで幕を開けたところ前代未聞のロングランを記録し、さらに『駅馬車』(1939年)や『怒りの葡萄』(1940年)で名声を博していたジョン・フォードが鳴り物入りで映画化したというもの。つまり、ここに描かれた「プア・ホワイト」像は当時のアメリカ国民に広く説得力を持つものだったといえるだろう。ジョン・フォードもよほど気合が入ったらしく、かれが手がけたなかでも最もテンションの高い作品のひとつで、すべての登場人物が尋常ならざる存在感を発散している。
タバコ・ロードと呼ばれるこの地へ、レスター家は100年ほど前にやってきてタバコと綿花の栽培で栄華を誇ったものの、この間にすっかり落ちぶれてしまい、かつての広大な地所もとっくに他人の手に渡って、年老いた当主のジーター(チャーリー・グレイプウィン)と妻のエイダ(エリザベス・パターソン)は片隅の土地を借りて、掘っ立て小屋で食うや食わずの毎日を送っていた。夫婦には「17人か18人」の子どもが生まれたものの、口減らしのためにあちらこちらへ追い払って、いまではオツムの弱い息子と娘のふたりだけ……。そんな絶望的な状況のもとでも、かれらは現実に対する激しい憤りといった感情とはおよそ無縁で、近在の連中とおたがいにたかりあって意気軒高に暮らしていた。
ところが、ついに絶体絶命のピンチが訪れる。現在土地を所有する銀行から、これまでずっと滞納を決め込んできた地代のうち、少なくとも1年分の100ドルを2日後の日曜午後までに支払わなければ即刻立ち退くよう通告されたのだ。もとより、手元に小銭すら持ちあわせないジーターはこんな祈りを神に捧げる。
「神さま、今回は冗談抜きでひどく困っとるんです。わしとエイダは救貧農場へ送られそうなんです。わしは罪深い人間だ。タバコ・ロードにこれほど罪深いやつはいません。だが、過去に犯した罪を心から悔いています、だれよりもね。いまから2日間、わしを見張っていてください。罪を犯してもやるべきことをやりたいのでね」
かくして、ジーターはとんでもない挙に出る。なんと、息子が隣家の倍ほども年齢の違う女から結婚と引き換えに手に入れた新車を横取りして、これを売り飛ばしたカネで地代を支払おうと目論んだのだ。まさに神をも恐れぬ所業はあえなく失敗して、逆に怒り狂った息子から足蹴にされてしまう始末。
ニッチもサッチもいかなくなった夫婦は、期限の日曜午後を迎えるとついにギブアップして、ほんのわずかな所帯道具を背に救貧農場をめざして掘っ立て小屋を出る。そこに降って湧いたように高級車が乗りつけて救世主が現れた。もとの地主の息子のティム・ハーモン大尉(ダナ・アンドリュース)だ。かねてレスター家の人々に憐れみの情を抱いていたかれは、自分も手元不如意のところ50ドルを銀行に支払って半年の猶予をもらったと伝え、さらに10ドルをふたりに渡して、これで綿花の種と肥料を購入して農作業を再開するよう促すのだった。颯爽とティムが走り去ったあと、ジーターは顔を輝かせながら妻に向かってこう告げる。
「あの広い土地が見えるだろ? 雑草を燃やして100エーカーの畑をつくる。土地を耕して見渡すかぎり畑にするんだ。空を見ろ、エイダ。種まきには最高の年になりそうだ。ずいぶん待ったがな。わしは匂いだけでわかるんだ、今年は綿花の豊作が期待できるぞ。ああ、人生で最高の年になりそうだ!」
感動のフィナーレを前にして、当時のアメリカ国民も現在のわれわれも、だれひとりとしてこの老人がふたたび綿花栽培を成功させてよみがえるとは受け止めないはずだ。せっかくの10ドルもあっさり露と消えて、結局のところ救貧農場へ収まる運命をほんの半年だけ先延ばししたのがせいぜいだろう。
しかし、ひとつだけ確実なことがある。ほんの束の間であれ、ジーターとエイダが希望を手に入れたことだ。神は決してわれわれを見捨てない。その奇跡をもたらしてくれたティム・ハーモン大尉の役割を、今日においてドナルド・トランプ大統領が担っているのではないだろうか。ただの虚妄かもしれない。しかし、たとえ虚妄だとしても、ジーターとエイダの夫婦には行方こそ知らず、レッキとした「17人か18人」の子どもたちと数えきれないほどの孫たちが存在するのだ。こうした「プア・ホワイト」のことごとくが明日への希望に向けて一票を投じるとしたら……。
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