緒方貴臣 監督『シンデレラガール』

音羽の口癖は
早くおとなになりたい、と――


686時限目◎映画



堀間ロクなな


 われながら、きょとんとしてしまった。緒方貴臣監督の映画『シンデレラガール』(2023年)だ。このストーリー展開をどう受け止めたらいいのだろう?



 佐々木音羽(伊礼姫奈)は、小学生のときに右足首が骨肉腫に冒されて片脚を切断することに。手術からリハビリにわたる長期入院中、母親(輝有子)は娘を力づけようと豪華な化粧道具セットをプレゼントし、担当の看護師(泉マリン)からメイクの手ほどきを受けると、彼女はすっかり熱中して、いつか美しく変身した自分がファッションショーのランウェイに立つ日を夢に見る。



 中学生となった音羽は、相変わらず入退院を繰り返しながらも、教師やクラスメートたちの励ましを受けて無事に卒業する。そんな彼女の姿がSNSで拡散し、ネット動画で配信されるなり広く注目を集めたのをきっかけに、義足の高校生モデルとしてデビューを飾り「シンデレラガール」ともてはやされる。ただし、マネージャー(辻千恵)が不自由な足を隠して活動させようとするのに対し、義足メーカーのクライアントからは「義足は障がいの象徴ではなく、個性として捉えてほしい」といわれて音羽は大きく頷くのだった……。



 と、こんなふうに追っていくと、主人公が身体的なハンディキャップをけなげに乗り越えていくという、映画にはありふれたサクセス・ストーリーそのものなのだが、しかし、通常のこの手のドラマとは決定的に異なるポイントがひとつある。それは、音羽がみずからの存在理由をめぐって煩悶しつつ、決して「内面」に目を向けようとせず、ひたすら「外見」だけに価値を見出していることだ。



 「早くおとなになりたい」



 彼女のこの口癖も、自分の精神的な向上を指すのではなく、たんに身体がおとなのサイズになることによって「外見」を完成させられることを願っているのに過ぎない。およそ子どもの成長をテーマとするドラマで、ここまでばっさりと「内面」を切り捨てた例はかつてなかっただろう。



 ストーリーはこのあと、とんでもない波瀾を迎える。グラビア・モデルの仕事が軌道に乗ってきた矢先、まさかの交通事故に見舞われて、音羽は残されたほうの片脚も失ってしまうのだ。しかし、この絶望的なピンチにも挫けることなく、母親やマネージャーの力強い応援もあって懸命にリハビリをこなしていき、ついに悲願だったファッションショーのランウェイに義足の両脚で立つときを迎える。してやったり、と満面の笑みを浮かべて……。



 ことここに至って、わたしは感動するより先に困惑してしまった。一体、彼女が達成したものはなんだったのか?



 そんな疑問がアタマにこびりついていたとき、わたしはたまたま新聞のコラム(『読売新聞』2025年6月2日付)を目に止めて「わかった!」と膝を打った。それは、ユニセフが公表した先進諸国の子どもの幸福度調査において、日本の子どもが身体的健康ナンバーワンとなったことに関連する内容だった。記者はなんだか腑に落ちなくて、詳細を確かめたところ、その判断基準はたんに死亡率と肥満の割合だったと知る。確かに肥満は病気の重大な原因にせよ、昨今の日本でやせすぎの若い女性が多いこともやはり健康上のリスクのはずで、そのせいか小さく生まれる赤ちゃんが増えて次世代の健康にも影を落としているからには「健康度トップ」と浮かれてもいられないとして、つぎのように指摘する。



 「やせ願望が強まるきっかけは、母親の発言が最も多いと聞く。世代を超え、女性に引き継がれているのかもしれない。ルッキズム(外見重視主義)のはびこる社会背景が影響していないか」



 ルッキズム。まさしく音羽はその申し子だったのだ! みずからの「外見」への一途な執着は、たとえわたしなどに理解できなくとも、いまどきの女の子たちにとっては当たり前の価値観なのだろう。と同時に、ちょっとでも「内面」を見つめたとたん、がらがらとすべて崩れ去ってしまう恐怖と背中合わせになっているのだろう。そうした意味で、この映画は「健康度トップ」の小さな島国が世界に向けて発信した痛ましいメッセージと受け止めるべきなのかもしれない。



 それにしても、彼女がファッションショーのランウェイに立つ夢を実現し、念願どおりのおとなとなったうえは、じゃあ、これから何を心の支えにして生きていくのか? 時代遅れのわたしはやはり、きょとんとしてしまうのである。  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍