チャン・イーモウ監督『紅いコーリャン』

女はおのれを愛する者のために
容色を整えるもの


689時限目◎映画



堀間ロクなな


 嗟乎(ああ)、士は己を知る者の為に死し、女は己を説(よろこ)ぶ者の為に容(かたちづく)る。



 司馬遷の『史記 刺客列伝』の一節だ。ああ、男はおのれの理解者のために命を捨て、女はおのれを愛する者のために容色を整えるものといった文意だが、決して女性を侮っているのではなく、前段と同様、それが戦い方のかたちであることを伝えているのだとわたしは思う。というのも、チャン・イーモウ(張芸謀)監督の映画『紅いコーリャン』(1987年)を見返すたび、ヒロインの生きざまその言葉に重ねたくたくなるからだ。



 ときは1920年代から30年代にかけて、ところは中国山東省の十八里坂と呼ばれるちっぽけな村。見わたすかぎり野生のコーリャン畑が広がっているこの土地で、コーリャンを材料とする造り酒屋に村娘のチウハル(コン・リー)が嫁入りした。初老の当主はハンセン病のせいで結婚相手が見つからなかったところ、親子ほど年の違う彼女がカネで買われてやってきたのだった。若い酒造り職人のチャンアオ(チアン・ウェン)は、そのチウハルにひと目惚れすると、コーリャン畑で強姦まがいのやり方で関係を結んだばかりか、主人をひそかに主人を殺害して後釜にすわろうと目論む。



 こんなふうに書くと、いかにも陰惨な筋立てなのだが、あっけらかんとした大らかでユーモラスな印象さえあるのは、そこに道徳や法律に縛られない自由奔放な人間の感情が横溢しているからだろう。まさしく『史記』が描きだす古代の人々のように――。



 「私もあなたたちと同じ貧乏人よ。おかみさんと呼ぶのはやめて。酒造りに上下はないわ!」



 それまで頑なに沈黙を守ってきたチウハルが晴れやかな表情でこんな言葉を発したのは、主人が死んで酒造りの見通しが立たず職人たちが退去しかけたのを引き止めるための、彼女としては一世一代の大演説だったのに違いない。それを受けて、まず番頭格のルオハン(トン・ルーチュン)が大きくうなずくと、だれもかれもが笑顔で職場に舞い戻った。こうして、ふたたび活気を帯びた酒造りの仕事が軌道に乗り、また、チウハルとチャンアオが晴れて夫婦となったのを見届けるなり、突然、ルオハンは姿をくらましてしまう。



 チウハルは理解していたはずだ。みずから望んで新しい夫としたチャンアオとはしょせん肉欲の関係に過ぎず、自分を一個の人間として心から愛してくれているのはルオハンのほうだ、と――。だから、9年の歳月が経過して、造り酒屋の稼業が順調に捗り、夫婦のひとり息子も生意気盛りとなって、すべては過去の出来事と思いはじめた矢先、彼女は日常風景の片隅にルオハンの人影を認めると、われを失いそのあとを追ってさまよったのだ。この間、かれがずっと遠くから見守ってくれていたらしいことに気づいて……。



 いまにして、チウハルの目の間に出現したのは懐かしいルオハンだけではなかった。ときあたかも中国大陸を嵐のごとく席巻する日本軍の部隊が、この田舎の村までせめぎ寄せてきたのだった。暴虐非道のかれらは、コーリャン畑を切り開いての軍用道路の施設作業に村じゅうの老若男女を使役していたある日、反抗分子の男ふたりを縛って木の枝に宙吊りにしたうえ、見せしめに生皮を剥ぐという血なまぐさい処刑を実施してみせた。ひとりは地元のヤクザの親分で、もうひとりがルオハンだった。かれはこの村を出奔したのち中国共産党に入って抗日武装集団を指揮していたという。



 「さあ、男衆はこのお酒を飲んだら、夜明けに日本軍のトラックを攻撃して復讐するのよ!」



 その夜、チウハルは家に戻ると、コーリャン酒の甕の口を惜しげもなく片っ端から開け、ありったけの材料を費やしてご馳走の皿を用意して、夫と息子と職人たちに向かって胸を張ってそう宣言したのだった。もとより軍事に素人の連中が腕を振り上げたところで日本軍の兵士たちに太刀打ちできようはずもないのは承知のうえだったろう。しかし、たとえ破滅が待ち受けていようとも、彼女は最後まで自分を愛し抜いたひとりの男の死と引き換えに人生を完結させることになんのためらいもなかった。



 女は己を説ぶ者の為に容る。



 チウハルの神々しいばかりに顔を輝かせた姿が、わたしには2000年あまり前に司馬遷の書きつけた言葉そのものに思えてならないのである。  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍