山田洋次 監督『男はつらいよ』

「おとっつぁん!」と
寅さんは声を張りあげた


691時限目◎映画



堀間ロクなな


 いわゆる「Z世代」の結婚式に初めて出席した。それは、デジタルネイティヴで情報感度が高く、自分の価値観を何より大切にするとされるかれらにふさわしいものだった。挙式では宗教の主宰者を置かず、新郎新婦がみずから婚姻の誓いや指環の交換を進め、披露宴でも媒酌人といった存在はなく、雛壇にはふたりだけがすわってプロジェクターの映像で面白おかしく自己紹介を行った。いかにもスマートなやり方にわたしはすっかり感心したが、同時に、ご馳走をいただきながら尻のあたりが落ち着かない感覚を覚えたのも事実だった。



 そこで、脳裏に懐かしくよみがえってきたのは、あの『男はつらいよ』第一作(1969年)で山田洋次監督が描いてみせた結婚式のシーンだ。



 敗戦直後の混乱期に両親と長男が死んだのち、次男の寅次郎(渥美清)はテキヤ稼業で世を渡ってきたが、望郷の念に誘われて20年ぶりに葛飾・柴又へ舞い戻り、団子屋「とらや」を営む親戚のおいちゃん(森川信)とおばちゃん(三崎千恵子)のもとで養われた妹のさくら(倍賞千恵子)と再会を果たす。こうして生き別れの兄と妹が家族として再生していくプロセスが映画の主題であり、その最大のクライマックスこそ、さくらが「とらや」に隣接する印刷工場の職人・博(前田吟)と結ばれる婚礼といっていいだろう。



 もともと頭のネジが外れがちな寅さんは、妹が職人風情交際するのに大いにケチをつけたものの、その相手から兄貴として慕われると手の平を返したようにふたりのキューピッド役をつとめ、晴れて地元の料亭で結婚式を迎える運びに。ところが、北海道出身の博には両親がないと聞かされていたのに、当日になって絶縁したはずの父親(志村喬)と母親が姿を現し、その名刺には北海大学名誉教授という厳めしい肩書が刷ってあった。むらむらと反発心に駆られた寅さんは、どうせ世間体のために出席したのだろうとふくれる博に向かって、あんなジジイの鼻を明かしてやると息巻く。



 不穏な雰囲気のなかで、印刷工場のタコ社長(太宰久雄)のしどろもどろな媒酌により披露宴が幕を開けると、職人仲間が新郎新婦のなれそめを笑い話にしたり、帝釈天の御前さま(笠智衆)がさくらの人柄を褒めたたえたり、お粗末な余興が繰り広げられたりしたあとで、新郎の父親が挨拶に立った。そして、自分は倅に何もしてやれなかった無力な親だが、ここにお集まりのみなさまのおかげで倅とともに春を迎えることができたと告げて、深々と頭を下げた。バタバタと紋付き袴姿の寅さんが駆け寄る。



 「おとっつぁん! おっかさん!」



 そう声を張りあげたとたん、場内から万雷の拍手が沸き起こり、博とさくらは雛壇で熱い涙をこぼしたのだった。



 ひっきょう、ここに戯画化されたものがかつての結婚式のありようではなかったか? 赤の他人だった男と女が夫婦となることで、それまで縁もゆかりもなかった「家」と「家」が身内同士となる。その際、どんな「家」だって叩けば多少とも埃が立つだろうし、相手の「家」に対する負けん気だって起こってくるだろう。つまり、結婚式の主役の座にすわっているのは「家」と「家」であり、当の新郎新婦はじっと雛壇でかしこまって成り行きを眺めているしかない。こうして悲喜こもごものドラマを経て、映画の寅さんがやってのけたように、最後には双方の「家」が新たな親族としてひとつにまとまっていく……。



 そんな昔日の結婚式からすると、くだんの「Z世代」が鮮やかな手並みでやってのけたのはまったく別の儀式だったといえるかもしれない。いよいよ披露宴もフィナーレに近づいて、メインイベントとして用意されていたのは、新郎のピアノ伴奏のもとで、新婦による『愛をこめて花束を』のエネルギッシュな歌唱だった(もとより、わたしはこの歌を知らず、あとで同席者から教えてもらった次第)。



 愛をこめて花束を

 大袈裟だけど受け取って

 理由なんて聞かないでよね

 今だけすべて忘れて

 笑わないで受け止めて

 照れていないで



 若いふたりのあいだでドラマは完結しているのだ。「家」が主役の座を明け渡したいま、もはや寅さんの居場所もどこにもないのだろう。  


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍