フォーレ作曲『レクイエム』

ナディア・ブーランジェ指揮の
演奏から聴き取るべきは?


692時限目◎音楽



堀間ロクなな


 「ヴィオロンのためいき」。フランスの作曲家、ガブリエル・フォーレの『レクイエム』に、わたしはそんな上田敏の訳したヴェルレーヌの詩の一節を重ねあわせたくなってしまう。カトリック教会が死者のためのミサで用いるラテン語典礼文にもとづき、フォーレが42歳のときから13年の歳月をかけて、1900年にソプラノとバリトンの独唱、混声合唱、オルガン、オーケストラによる全7曲の現行版(第3稿)を完成させたこの作品は、モーツァルト、ヴェルディの作品とあわせて「三大レクイエム」と称されるが、そのなかで最も慎ましやかで清澄な雰囲気を湛えているといえるだろう。



 したがって、この楽曲を演奏する場合、指揮者が表現意欲を振りかざすとたちまち音楽の持ち味が失われてしまいかねないことから、往年の大スターのカラヤンやバーンスタインが手がけなかったのには理由があったと思われる。かくして、わたしも定評のあるクリュイタンス(2種)やコルボ(2種)が指揮した録音で親しんできたわけだけれど、最近になってこれまで知らなかった驚くべきレコードと出会った。



 こうした経緯だ。フランスのクラシック音楽専門誌『ディアパゾン』は基本的なレパートリーに関してイチオシのレコードを挙げるだけでなく、それを自主レーベルで復刻リリースしてファンの要望に応えている。とりわけ自国の作曲家の作品に対してはこだわりを発揮して、日本の音楽ジャーナリズムの評価と異なるレコードが差しだされることがしばしばで、フォーレの『レクイエム』も例に洩れなかった。ふつうなら前記のクリュイタンス指揮の旧盤(1951年)か、いっそう洗練されたアンゲルブレシュト指揮の演奏(1955年)を考えたくなるところ、まったく別ものだったのだ。



 レリ・グリスト(ソプラノ)

 ドナルド・グラム(バリトン)

 ヴァーノン・デ・タール(オルガン)

 コラール・アート・ソサエティ

 ニューヨーク・フィルハーモニック

 ナディア・ブーランジェ(指揮)

 1962年ライヴ録音



 これらの表記を目にして、わたしは呆気に取られた。アメリカの歌手・合唱団とオーケストラをフランスの著名な女性作曲家が指揮したという、まるで他流試合のような演奏をなんだってわざわざ選んだのだろう? ひとしきりにらめっこして朧気に見えてきたことがある。どうやら、背後にはキイパーソンとしてバーンスタインが佇んでいるらしい、と――。



 この演奏が行われた当時、バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督のポストにあった。また、ソプラノのグリストはそのバーンスタインの作曲になるミュージカル『ウエスト・サイド物語』(1957年)に出演して脚光を浴び、バーンスタイン指揮のマーラー作曲『交響曲第4番』の録音でもソリストをつとめた。そして、ブーランジェは1887年にパリで生まれて、同地の音楽院ではフォーレそのひとに作曲法を学ぶなどしたのち、第二次世界大戦前よりアメリカの音楽教育でも大きな貢献を果たして、その門下生のひとりがバーンスタインだった。つまり、こういうことだろう。ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会でフォーレの『レクイエム』を取り上げるにあたって、バーンスタインは先に述べたとおりの事情で任にあらずと判断し、自分の信頼する歌手を揃えたうえで、あえてタクトを恩師に委ねたのではなかったか。



 その成果は絶大だった。ブーランジェの噛んで含めるような指揮ぶりに導かれて音楽は徐々に熱を帯びていき、第4曲「ピエ・イエス」ではさらに大きくテンポを落として、グリストがどこまでも澄み切った声でうたいあげて高らかな頂点を築いたのだ。



 慈愛深いイエスよ、主よ

 与えたまえ、かれらに永遠の安息を



 それは、もはや「ヴィオロンのためいき」といった慎ましさの桎梏から解き放たれて、聴く者をもっと広大無辺な境地へといざなっていくものだった。おそらく『ディアパゾン』の編集者は、こうしたアメリカとヨーロッパの両大陸を股にかけた他流試合ならではのフォーレ作品のあり方を評価したのだろう。



 いや、そんな呑気な話ではないのかもしれない。ニューヨーク・フィルハーモニックの記録を調べてみると、この演奏が行われたのは1962年の2月とされている。当時、アメリカとソ連の「冷戦」は深刻さを増し、10月には「キューバ危機」が全面核戦争の危機をもたらすことに。きわどい時代状況のもとで、ブーランジェの指揮によりフォーレの『レクイエム』が取り上げられ、グリストがうたった「ピエ・イエス」は、人類の死の淵からの救済を希求する祈りを響きわたらせたことだろう。だとするなら、それから60年あまりが経過してなお、核戦争の勃発に対する警鐘が鳴りやまない現在において、われわれはこの演奏に何を聴き取るべきなのか?  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍