オルテガ著『大衆の反逆』

参院選の結果を
導きだしたものとは?


704時限目◎本



堀間ロクなな


 このたびの参院選(2025年7月)では、政府・与党ばかりでなく、「第四の権力」たるマスメディアも未曾有の大敗を喫したというべきだろう。つまり、これまでの政治のあり方に対してまるごと有権者からノーの意思表示を突きつけられたわけで、その意味では「政治革命」と見なせるのかもしれない。以来、テレビ番組ではしきりに自民党の劣化やSNSの台頭が論じられているけれど、わたしにいわせれば、最も重要な論点が抜けている気がする。そもそもこうした歴史的転換を導きだした「大衆」とは一体、何者なのか、と――。



 そこで、スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』(1929年)を読み返してみた。この著作が書かれたのは第一次・第二次世界大戦の戦間期で、ウォール街の暴落に端を発した大恐慌とボルシェヴィズムやファシズムの荒波にヨーロッパ大陸が揺さぶられるなか、オルテガは旧来の「優れた少数者」を押しのけて、不特定多数の「大衆」が歴史の表舞台に躍りでたのを見て取った。したがって、時代背景は今日の日本とまったく異なるにせよ、逆にそのうえで、もし双方に共通項が見出せるなら「大衆」というものの普遍的な特徴を分析できるのではないか。



 こうした問題意識から、『大衆の反逆』の記述と今回の参院選をめぐる事態を重ねあわせてみた次第。神吉敬三訳。



 われわれは、今日の大衆人の心理図表にまず二つの特徴を指摘することができる。つまり、自分の生の欲望の、すなわち、自分自身の無制限な膨張と、自分の安楽な生存を可能にしてくれたすべてのものに対する徹底的な忘恩である。この二つの傾向はあの甘やかされた子供の心理に特徴的なものである。そして実際のところ、今日の大衆の心を見るに際し、この子供の心理を軸として眺めれば誤ることはないのである。〔中略〕自分が呼吸している空気のために他人にお礼をいう人は一人もいないであろう。それは空気は誰が作ったものでもないからである。つまり、空気は、「そこにある」もの、われわれが、あるのは「あたりまえである」と呼ぶものの一つだからである。そしてこれらの甘やかされた大衆は、空気と同じように彼らの意のままに供されているあの物質的・社会的組織も、空気と同じ起源をもつものだと信じてもおかしくないほど、知性が低いのである。



 オルテガはまず、「大衆」のふたつの特徴を提示する。とめどない自己肥大と忘恩。幸いにも戦火や飢餓とはほど遠い日本に暮らしながら、あっさりと「政治革命」を実現してのけたエネルギーの源泉は、どうやら甘やかされた子どもさながらの心理機構にあったらしいのだ。そこでは、「日本人ファースト」や「手取りを増やす」といったキャッチフレーズが広汎な支持を集めるとともに、さまざまなフェイク情報がまことしやかに流通して投票行動に左右したとされるが、そのあたりの事情はこんなふうに説明されている。



 わたしは大衆人がばかだといっているのではない。それどころか、今日の大衆人は、過去のいかなる時代の大衆人よりも利口であり、多くの知的能力をもっている。しかし、その能力もなんら彼の役には立っていない。いや、そうした能力をもっているという漠然とした意識は、彼がますます自分の中に閉じこもり、その能力を使用しないようにするためだけに役立っているのである。大衆人は、偶然が彼の中に堆積したきまり文句や偏見や思想の切れ端もしくはまったく内容のない言葉などの在庫品をそっくりそのまま永遠に神聖化してしまい、単純素朴だからとでも考えないかぎり理解しえない大胆さで、あらゆるところで人にそれらを押しつけることであろう。〔中略〕自分の中に必要なもののすべてをもっているのに、他人の言葉に耳を傾ける必要がどこにあろう。彼らにとってもはや傾聴すべき時は過ぎたのであり、今や判定し、裁定し、決定する時なのである。



 もしこうした政治動向をポピュリズムと呼ぶなら、あたかも奔流のようなポピュリズムは現在、日本だけでなく世界各地で湧き起こっている現象だ。いわば全人類的な局面なのかもしれないが、じゃあ、この「大衆の反逆」はどのような未来をもたらそうとしているのだろうか? そんな問いかけに対しても、オルテガは恐らく苦虫を噛みつぶしたごとき顔つきであらかじめ見通しを用意している。退化と後退の危険性。そこから人類を救いだす「責任あるもの」の存在を、果たして本当に信じていたのかどうか……。



 大衆の反逆は、たしかに人類の新しいそして比類なき組織への移行過程でもありうるが、しかし同時に、人類の運命における一つの破局ともなりうるのである。進歩という事実を否定する理由はどこにもないが、しかし、その進歩が安全なものだとする考え方は訂正しなければならない。すべての進歩、すべての発展には、必ず退化と後退の危険性が伴っていると考える方が、より事実に則しているといえよう。〔中略〕生起する出来事の好都合な側面のみを渡り歩き、最も陽気なひと時にさえ秘められている危険と脅威の一面に対して無感覚になるということは、責任あるものに課せられた使命に答えていないことに他ならない。今日こそ、責任を感じる能力を有する人々のうちに責任に対する極度の鋭敏さを喚びさますことが必要なのであり、現在の諸兆候における明らかに不吉な面を強調することが焦眉の急であるとわたしは思うのである。



 もとより、「大衆」とはわれわれ自身のことである。今回の参院選による「政治革命」ののち、オルテガが100年前に指し示した予言にどう応えるのか、それはわれわれの手にかかっているのに違いない。  



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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍