菊池 寛 著『恩讐の彼方に』
そこに込められた
本来のテーマとは?
705時限目◎本
堀間ロクなな
ことによると、菊池寛という作家をわれわれはよく知らずにきたのではないか? かれの作品はだれにでもわかりやすい「テーマ小説」と呼ばれて、菊池本人もこうした面をことさらアピールしたフシがある。それは、雑誌『文藝春秋』を創刊して芥川賞・直木賞を打ちだした実業家としての資質が言わせたものでもあったろうが、代表作のひとつ、『恩讐の彼方に』(1919年)を最近久しぶりに読み返してみて、どうやらそうそうひと筋縄で済ませられる事情ではなさそうだと思い知らされた。
この短篇小説はまさしくテーマそのものをタイトルに掲げ、だれでも安心して読み進めて納得できる仕掛けになっているけれど、あらためて考えるまでもなく、プロの作家がのっけからネタバレさせてしまうとはいかにも無邪気に過ぎるのではないか。むしろ、そこにはなんらかの意図があるはずだと疑ってみたら、面白いことに気づいた。作品は四つのチャプターから構成されるのだが、それらが以下のようにはっきりと起・承・転・結をなしているのだ。
【起】江戸の旗本の家来・市九郎は、主人の愛妾・お弓と密通したのがバレて手討ちにされかけたところ反撃して、主君殺しの大罪を負ってお弓とともに出奔する。
【承】ふたりは街道の峠で茶屋を開きながら、その実、人斬り強盗をなりわいとしていたが、お弓の指図で健気な若夫婦を殺めたことで市九郎は罪悪感に駆られて逃げだす。
【転】市九郎はある僧侶の慈悲によって出家し、半生の罪業を償うための旅に出て、豊後国で多くの行人が命を落としてきた難路の掘削に立ち向かい、18年の歳月が流れた。
【結】市九郎のかつての主君の遺児・実之助は仇討ちを決意して各地を行脚し、ついに宿敵と出くわしたものの、半死の態が懸命に槌をふるう相手の姿を目の当たりにして……。
こんなふうに因数分解すると、起・承・転・結のそれぞれが固有のテーマを持ち、ばらばらに独立させても立派に小説として成り立つことがわかる。逆にいえば、それらがまるで紙芝居のように数珠つなぎにされ、タイトルの『恩讐の彼方に』も最後のオチを指し示すに過ぎないせいで、作品全体をとおしてのテーマが作者によってあえて隠蔽されているかのような印象がある。
そこで、もっと距離を取って作品を眺めてみよう。明治の終わりに東京の第一高等学校に入学した菊池寛は、周知のとおり、4歳年下の芥川龍之介らと出会って同人誌『新思潮』に参加して文学の道を志す。ところが、ある学友の不祥事の責めを負って退学処分となり、京都大学に移って、芥川が華々しく文壇にデビューしたありさまをはるか遠くから望むしかなかった。そんなかれに新人作家の登竜門たる『中央公論』からようやく原稿依頼の声がかかったのは1918年(大正7年)のことだった。
菊地はこのとき四つの作品を発表した。まず、7月号に『無名作家の日記』。これは私小説のスタイルを借りて自分のこれまでの不遇の日々を洗いざらい吐露したもので、そこには芥川をモデルにした「山野」という人物が登場して、みずからの才能を鼻にかけてさんざん「俺」をいたぶるいやらしい役回りなのだが、のちに菊地が認めたようにフィクションでしかなく、それだけに『中央公論』編集部は芥川との関係を危惧したにもかかわらず、菊池はそのままのかたちで公にした。ついで、9月号には徳川家康の孫にあたる若い越前藩主がおのれの権力に血迷っていく『忠直卿行状記』、11月号には上記の自分を都落ちさせた学友との凄まじい愛憎模様を描いた『青木の出京』と続き、そして、翌年の1月号にひと区切りとして発表したのが『恩讐の彼方に』だった。
どうだろう? これらの四つの作品も見事なまでに起・承・転・結をなして、菊池がこの時期、ひたすら自己の文学のテーマにしたものが浮かびあがってきはしまいか。「内なる狂気」――。青雲の志を文学の道に託し、そこで芥川という天才と出会った体験によってかれが疾風怒濤の狂気を発し、いよいよみずからも文壇に乗りだすにあたってそんな内面に決着をつけずにいられなかったのも当然だろう。『恩讐の彼方に』もまた、全体をとおしての本来のテーマは主人公・市九郎の「内なる狂気」だったはずだ。ついに隧道が岩盤をくり抜いた最終場面で、かれは実之助に向かってこう告げる。
「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなさい。かかる法悦の真ん中に往生いたすならば、極楽浄土に生るること、必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい」
それは、菊池が芥川とのあいだの疾風怒濤の狂気にケジメをつけるために吐きだした言葉でもあったろう。実際、この作品が世に出て間もなく、ふたりは市九郎と実之助のごとく手を取りあって大阪毎日新聞の客員として文筆専業の生活に飛び込み、菊池は新聞連載『真珠夫人』を大成功させて一躍流行作家の仲間入りを果たして、『文藝春秋』創刊へと突き進んでいったのである。
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