デュ・モーリア著『モンテ・ヴェリタ』
あの崖を下っていった
先にあったものは
711時限目◎本
堀間ロクなな
富士山での遭難事故は大々的に報道されるけれど、実のところ、山岳事故のほとんどはもっと身近な場所で起きていて、東京の奥多摩も例外ではなく、年々、この地域で消息を絶つ登山客は富士山よりもずっと多いだろう。かくいうわたし自身、20年ほど前に危うくその仲間入りをしかけた経験がある。
秋の終わりごろ、ひとりで三頭山(1531m)に向かったときのことだ。奥多摩湖のドラム缶橋を渡った先の登山口から入り、檜原都民の森へと降りてくる縦走のコースで、それまでにも何度か歩いていた。とくに危険な個所はないのだが、現地の人々の生活空間と重なっているため山中にはさまざまな道が交錯して、そのうち登山道は目印として樹木の幹にピンクのリボンが巻いてあった。2時間ばかりして、どうもコースから外れたような違和感を覚えたが、視線の先にはちゃんとピンクのリボンがあったものだから追っていくと、ふいに足の下の地面が消えた。そして、ほぼ垂直の斜面を滑り落ちかけたところで傍らの樹木の枝にしがみつき、かろうじて這いあがってくることができた。わたしはいまでも思い返すのだ。もしあのまま崖を下ってしまったのちに、秋の日がつるべ落としに暮れたらどうなっていたのだろう――。
「南の斜面が視界に広がると、尾根が次第に細くなり、岩壁が切り立ってますます険しくなっていくのがわかった。やがて肩のうしろで、東の靄のなかから月がその大きな顔を少しだけのぞかせた。それを見ると、わたしは新たな孤独感をかきたてられた。まるで足もとにも頭上にも宇宙が広がり、自分だけがただひとり地球の縁を歩いているようだった。わたし以外にこの空っぽの円盤を歩いていく者はない。そしてこの円盤は、究極の闇に向かって虚空を回転していく」(務台夏子訳)
ダフネ・デュ・モーリアの『モンテ・ヴェリタ』(1952年)の一節だ。このイングランドの女流作家は、ヒッチコック監督の映画『レベッカ』や『鳥』の原作者として有名なだけに、まるで眼前に情景が広がるような描写が持ち味で、上記の記述に出会ったとたん、わたしは忽然と三頭山での体験がよみがえってきたものである。
語り手の「わたし」は、登山仲間の友人ヴィクターが結婚すると、その妻アンナの神秘的な雰囲気に魅せられてしまう。しばらくして、「わたし」が仕事でアメリカへ長期出張中に、友人夫婦はヨーロッパのある村からほど近い「モンテ・ヴェリタ(真実の山)」と呼ばれる山へ旅行に出かけたところ、突如、アンナが山中にある石造りの館に入ったきり一切の消息を絶って、ヴィクターは彼女と会うことができなくなった。こうした事情を聞かされていた「わたし」は20年後、偶然にも乗りあわせた飛行機が「モンテ・ヴェリタ」の麓に不時着して、村の小屋でいまだに妻を待ちながら死にかかっているヴィクターと再会を果たしたのち、単身、アンナの行方を追って山道を登っていった。そのときの心象風景を描いたのが引用部分だ。
やがて、「わたし」が石造りの修道院のような館に辿り着いて目にしたのは、年老いたアンナと、独自の信仰をともにする人々の姿であった。そして、どうやら自分もまた、その選ばれた人々のひとりとしてこの場所にやってくるのが運命づけられていたらしいことに気づいたのだ。
「わたしはふたたび周囲を、かたわらに立つ人々の顔を見まわし、痛みにも似た飢餓感とともに、ぼんやりと悟った。この人たちは、わたしが一度も味わったことのない愛の歓びを知っているのだ。彼らの沈黙は、彼らを闇へ追いやる誓約ではなく、山が彼らに与えた安らぎなのだ。山は彼らの心を溶けあわせた。ほほえみが、まなざしが、用件や考えを伝えるならば、言葉はいらない。そして笑いは、常に勝利感とともに、心の底から湧き出し、決して抑えられることはないのだ。ここには秘められた法などはない。本能の欲求をすべて否定する、陰鬱で不気味な法などは。ここでの生は濃密だ。満たされ、歓喜に叫んでいる」
ことによったら、20年前の秋の日、三頭山のピンクのリボンの目印を追って、あのまま崖を下っていった先にも、「モンテ・ヴェリタ」と同じように世間を離れて別世界で暮らす人々が存在したのだろうか?
わたしははっきりと記憶している。いったん滑り落ちかけた斜面を這いあがって、震えの止まらない足を運びながら、ほうほうの体でようやく本来の登山道まで戻ってくると、反対側から丸顔の中年男性がゆっくりとした足取りで姿を現した。その人物は「何か気がつきませんでしたか?」と問いかけてきて、「いえね、ぼくの母校の恩師がこの夏、このあたりを登っていて行方不明になりましてね。何か痕跡でも見つからないかと思って、たまに訪れては探しているんですよ」と口にしたのだった。
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