デュ・モーリア著『動機』
若妻が突然自殺した
動機を追い求めて
712時限目◎本
堀間ロクなな
今回もイングランドの女流作家、ダフネ・デュ・モーリアの小説を取り上げたい。先の『モンテ・ヴェリタ』と同じく、短篇集『林檎の木』(1952年 邦訳の創元推理文庫版は『鳥』)に収められた『動機』だ。
ある日の午前11時半ごろ、貴族のサー・ジョン・ファーレンが役員会に出席中、若い妻メアリーが命を絶った。屋敷の銃器室でリボルバーに弾丸を込めて自分の頭部を撃ち抜いたのだ。ふたりは先年結婚してから幸せな毎日を送り、近く子どもが生まれる予定だった。執事によれば、ふだんどおり朝食を終えて、郵便小包で送られてきた赤ん坊のショールを吟味したり、庭用家具の巡回セールスマンにベンチを注文したりして、とくに変わった様子もなかったらしい。ところが、11時20分にミルクを部屋へ運んで退出したのち、わずか10分後に彼女はピストルの引き金に指をかけたというのだ。
呆然とするサー・ジョンに向かって、出入りの医師は「身ごもっている女性が一時的に錯乱状態に陥ることはありえます」と告げ、形式的な死因審問を済ませた警察は「自殺。精神状態不明」と結論づけたものの、かれはとうてい納得できず、探偵事務所に連絡して妻の自殺の動機を解明することを依頼した。そこから派遣されてきたいかにも抜け目のなさそうないスコットランド人のブラックは、屋敷の内外を調べまわってメアリーの痕跡にあたり、あらためて関係者の証言を聴き取ると、サー・ジョンとのあいだでつぎのような会話を交わした。務台夏子訳。
「まだ調査を続けますか?」彼は訊ねた。「やはりドクターの言うとおり、奥さんは精神錯乱のすえ、自ら命を絶ったものと判断したほうが、簡単でいいとは思いませんか?」
「いいや」サー・ジョンは言った。「この悲劇の謎を解く鍵は必ずどこかにあるはずだよ。それを見つけるまで、わたしはあきらめない。というより、きみがわたしのためにそれを見つけ出すんだ。わたしはそのためにきみを雇ったのだからね」
こうしてブラックの本格的な探偵活動がスタートする。それはいわば、平凡な自殺の平凡ではない動機を解明していくプロセスだった。
わたしがこの作品に興味を搔き立てられたのは居住環境のせいかもしれない。というのも、もう30年あまり東京・多摩地区のJR中央線の沿線界隈に暮らしてきて、この路線はひときわ「人身事故」が多発することで知られているからだ。その際は2時間ばかり列車の運行がストップするため、乗客たちは毒づきながら迂回ルートへ急いだり、近場の飲食店で時間をつぶしたり……といった対策を講じることになるのだけれど、おそらくだれひとりとして自殺を図った者の動機に思いを馳せたりしないだろう。
そんな薄情ぶりは何も中央線の利用者にかぎった事情ではないはずだ。厚労省と警察庁による自殺に関する年次レポートでも、その動機については「家庭問題」「健康問題」「経済・生活問題」「勤務問題」「交際問題」「学校問題」「その他」に分類した集計が示されているだけで、おそらくほとんどの日本国民がこうしたたぐいの問題を抱え込んでいる以上、それらを割り振って当てはめてみたところでとうてい自殺者の動機を解き明かしたことになるとは思えない。
デュ・モーリアの『動機』は、そんなわれわれの自殺に対する怠惰な態度への警鐘のような気がするのだ。ブラックがひとりの女性の死をめぐってイギリス国内にとどまらず、ヨーロッパ大陸の各地にまで足をのばして探索した果てに見出した具体的な事実については触れないが、ごく大づかみな結果だけを要約すればこうなる。すなわち、メアリーには確かに自殺するだけの動機があったのだ。しかし、本人がそれをまったく知らずに平和に暮らしていたところ、ちょっとした偶然でいきなり動機が目の前に立ち現れて、ただちに彼女は自殺を敢行してしまったのである。
恐ろしい話ではないか。なぜなら、われわれはともすると、自殺する者にはあらかじめ問題があって耐え切れなくなったときに決行すると考えて、さほど深刻な問題を抱えていない自分が自殺することはないと安心しているのだが、突如、何かのきっかけで自分には自殺するだけの動機があることに気づかされるわけだから。現実に自殺を引き起こすのはこうした予測不能の動機との出会いではないのか? だとするなら、われわれもいつなんどき自殺しかねない可能性が……。
「奥様は幸せで、満ち足りていらっしゃった。あなたや他の誰もが知っているように、非の打ちどころのない人生を送ってこられたのです。レディ・ファーレンのなさったことには、まったくなんの動機もありません」
あまりにも悲観的な結論に至ったからだろう、ブラックは依頼主のサー・ジョンにこのように報告して仕事を終えている。
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