チャイコフスキー作曲『交響曲第4番』

結婚生活の
破綻から生まれた傑作?


714時限目◎音楽



堀間ロクなな


 わたしが初めて小遣いで初めてクラシック音楽のレコードを買ったのは高校生のとき。駅前のショップのそれまで足を向けたことのなかったコーナーで、まずお目当てのヴィヴァルディの『四季』(イ・ムジチ合奏団 1959年)を手にしたあと、せっかくだから未知の曲も聴いてみようと考えて選んだのがチャイコフスキーの『交響曲第4番』(カラヤン指揮ベルリン・フィル 1971年)だった。そして、帰宅してレコードに針を落としたとたん、いきなり金管楽器の咆哮が轟いて、そこへ弦楽器がなだれ込んでくると、もう息苦しいまでの切羽詰まった音楽が繰り広げられ……。



 このピョートル・イリイチ・チャイコフスキーがつくった四番目の交響楽をめぐっては、いかにも謎めいた経緯が知られている。1877年5月、37歳のかれは同性愛者であったにもかかわらず、9歳年下の女性アントニーナから熱烈なラブレターを受け取ると、もう7月には教会で結婚式を挙げてしまう。しかし、当然ながら夫婦関係が成り立たないためにたちまち破綻して、かれは妻を置き去りにして旅に出たり、舞い戻ってきてモスクワ川に入水しかけたり……。さらに、いっそう信じがたいことには、そんな生活のなかで『交響曲第4番』をせっせと書き進め、なんと、自殺未遂を引き起こしたのと前後して、あの第一楽章の凄まじいオーケストレーションを仕上げ、翌1878年1月に全4楽章を完成させたのだ! 



 こうしたことから作品は当時のチャイコフスキーの心理ドラマを反映したものとされ、本人自身、パトロンのフォン・メック夫人に宛てた手紙のなかで主題は幸福を追求する夢とそれを打ち砕く現実の対立だと言明しているのだ。クラシック音楽の歴史において、作曲家たちはしばしば人生の危機において傑作をものしているけれど、それにしてもこれだけ手際のいい(?)ケースは他に見当たらないのではないか?



 そこで、わたしなりにこの謎の解明にアプローチしてみたい。実は、チャイコフスキーは奇怪な結婚と『交響曲第4番』の作曲に先立って、もうひとつの人生の一大事に遭遇している。前年(1876年)の12月に敬愛してやまないレフ・トルストイと初対面の機会を得たのだ。かれはモスクワ音楽院のコンサートで隣りあって座り、自作の『弦楽四重奏曲第1番』の第二楽章(アンダンテ・カンタービレ)が演奏された際に文豪が落涙したのを見て感激に震えたという。このころ、48歳のトルストイは『アンナ・カレーニナ』を執筆中で、間もなく1877年1月から4月まで雑誌『ロシア通報』に終盤の部分を発表して、そこにはつぎのような文章があるのをチャイコフスキーも目にしたに違いない。中村白葉訳。



 家庭生活において何かを計画するためには、夫婦のあいだに完全な分裂か、あるいは愛の一致がなければならない。夫婦の関係があいまいで、どっちつかずでいる場合には、どんな計画も、実行されるものではないのである。

 世のなかには、夫にも妻にもいとわしい生活を、そのまま幾年でもつづけてくりかえしている家庭がかなりあるが、それはみな、完全な破裂も一致もないからにほかならないのである。

 太陽がもう春らしさを失って、夏らしい光をみなぎらし、並木街の木という木は、もうとうにすっかり葉をつけて、その葉がすでにほこりにおおわれてしまったとき、炎熱と塵埃のなかのモスクワ生活は、ウロンスキイにとっても、アンナにとっても、堪えがたいものであった。それでいながら彼らは、もうずっと以前に決定したヴォズドゥヴィジェンスコエ行きを実行しないで、ふたりともいやでならないモスクワに、だらだらと住みつづけていた。それは、最近彼らのあいだに一致がなくなっていたからである。



 ヒロインのアンナは夫と幼い息子を捨て、不倫相手の若い将校ウロンスキイのもとに走って女児まで産んだものの、ふたりのあいだには徐々に行き違いが生じ、いまでは愛人に新しい女ができたのではないかと疑い、また、そんな疑いから逃れられない自分自身に絶望して、ついに鉄道自殺で人生に決着をつける。引用した文章は、そんな悲劇的な結末に向けてまっしぐらにドラマが突っ走りだす部分だ。



 もとより、あくまでもひとつの仮説だが、こうしたトルストイの叙述を目の当たりにしたチャイコフスキーは、芸術家はやはり社会の原点たる夫婦というものの見きわめなければならない、その深い葛藤を知ることによってこそ真に偉大な芸術を社会に送り届けられると考えたのではないか。そんな思惑から無謀を承知のうえでアントニーナとの結婚に踏み切り(かれは別離のあとも、次第に精神を病んでいった妻に対して最後まで経済的支援を続けたという)、作曲家として大きなターニングポイントとなった交響楽をつくりだすのに見事に成功したのだった――。



 あのときレコード・ショップで、もしわたしがヴィヴァルディの『四季』だけを買い求めて、チャイコフスキーの『交響曲第4番』に手をのばさなかったら、以来、半世紀あまりにわたってクラシック音楽の世界にずっぽりとのめり込むことはなかったように思う。 



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍