コパチンスカヤ演奏『チョクルリア(ひばり)』
それはとても
ヴァイオリンの音とは思えない
717時限目◎音楽
堀間ロクなな
したたかな、という形容が、果たしてヴァイオリニストにふさわしいのかどうかわからないけれど、わたしはパトリシア・コパチンスカヤに対してそんな言葉を使いたくなる。というのも、この女流ヴァイオリニストがベートーヴェンやチャイコフスキーの協奏曲などで鮮烈きわまりない演奏を披露する一方、こうしたクラシック音楽のオーソドックスなジャンルを蹴飛ばすかのように、いかにもしなやかにわが道を突き進んでいく姿に舌を巻いているからだ。
そんな彼女の名刺代わりともいうべきアルバムがある。『ラプソディア』(2009年)だ。ライナーノーツには自分自身の来歴について率直に語った文章がのっていて、それによると――。
コパチンスカヤが生まれたのはウクライナの南西に隣接するモルドヴァ(モルドヴィア)で、とても貧しい国ながら、見渡すかぎり澄み切った大空と田園の芳香に満ちた黒土が広がり、村の祭日には食卓にずらりとご馳走が並んで、人々が楽しげに歌って踊るという。父親のヴィクトル・コパチンスキーは村を飛び出して音楽学校に進んでツィンバロンという打弦楽器の名手となって、ヴァイオリンを弾く母親とともに「ラプソディア」と称する民族音楽団を結成して活動してきた。そのあとに、こんなふうに続く。
「アルメニアでのある晩のこと、コンサートが終わり、夕食も終わった時、両親は二人目の子供が出来たらいいだろうなろうなと話し合ったそうです。私が生まれる直前、両親はモルドヴァ史上最悪の地震を経験しました。そして私が、この炎と大地のように性格の違う二人の間に生まれました。両親は私が6歳の時にヴァイオリンを持たせました。母が言うには、ヴァイオリンをどう扱えばいいのか、私はすぐに正確に理解したそうです。そりゃそうです。私はもう何年も両親の姿を見ていたんですから」(栗田洋訳)
こうした天性のヴァイオリニストのコパチンスカヤが両親とともにつくりあげたのが、家族の楽団の名称を冠したこのアルバムだ。遠いモルドヴァの地から、一体、どんな音楽が鳴りだすのか、とわたしは固唾を呑んでプレーヤーにかけたところ、冒頭の民謡『チョクルリア(ひばり)』でいきなりぶっ飛んでしまった。
もう120年も前の楽器だという。父親が5オクターブ以上の音域を2本のハンマーで打ち鳴らすツィンバロンをバックに、彼女の奏でるヴァイオリンをなんと表現したらいいのだろう? いやはや、実のところ、これがヴァイオリンから出てきた音だとはだれも信じないに違いない。まさしく、どこまでも広がる紺碧の空をしきりに飛びまわるひばりの天真爛漫なさえずりそのものなのだ!
なんて日だろう! 陽気なひばりが
舞いあがり歌うたい、
こがねの風に穀物畑が波をうっている。
頭上には木々が濃く厚く、
すきとおった果実は陽(ひ)にかがやいて熟しているし、
とおくには緑なす波がもうろうとして、
虹色の霧を透してかぐわしい香がみなぎっているのだ。
いのちあふれる花々から働き蜂は蜜をとり、
いたずらトンボはぶんぶん飛び翔(あが)り、
遠くからは愉快な歌がきこえてくる――
ああ、あの歌は勇ましい干草刈りのその歌だ。
(太田正一訳)
これは、19世紀のウクライナ出身の文豪ニコライ・ゴーゴリが20歳のときに発表した田園叙景詩『ガンツ・キュヘリガールテン』(1829年)の一節だ。かの地の小さな村では、年寄りのヴァイオリン弾きやら、いたずらっ子たちやらが騒々しいなか、恋人ガイツに思いを募らせる乙女ルイーザの可憐な瞳にはこうした情景が映っていたのだ。
したたかなヴァイオリニスト、コパチンスカヤが奏でてみせたのは、まさしくここに描きだされた陽気なひばりの歌であったろう。はるかな上空から人間たちのいじらしい喜怒哀楽のありさまを見下ろしながら、あるいはまた、いつの時代にも止むことのない為政者どもの不和と戦火の愚かさに呆れ果てながら……。わたしはめくるめく音楽に酔いつつも、その底から響いてくるヨーロッパ辺境の民族の深い溜め息を聴き取らずにはいられなかったのである。
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