川島雄三 監督『幕末太陽傳』
ええい、
地獄も極楽もあるもんけえ
720時限目◎映画
堀間ロクなな
川島雄三監督の『幕末太陽傳』(1957年)は、明治維新まであと6年という文久2年(1862年)の暮れ、東海道・品川宿の遊郭街の路上で、遊び人の佐平次(フランキー堺)がオルゴールつきの懐中時計を拾い、それが長州藩士の高杉晋作(石原裕次郎)の持ちものだったというエピソードからはじまる。こうして古典落語のキャラクターと幕末史に実在したヒーローのふたりを「太陽族」に見立てた群像劇が幕を開け、くだんの懐中時計が動いては止まるのを繰り返すように、ぎくしゃくと進んでいくことになる。
上記の「太陽族」とはいうまでもなく、石原慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』(1955年)に描かれたブルジョワの若者たちの生態が大反響を呼んで、一世を風靡した流行語だ。そのなかの最も有名なシーンは、ボクシングに熱中する高校生の津川龍哉が夜の銀座でナンパした英子と、逗子の海でヨット遊びをしたあと、自宅の離れに誘い込んで肉体関係を迫るところだろう。
部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突き立てた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを診た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
その瞬間、龍哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだ。
わたしはかつてこの個所を読んで快感どころか股間に鋭い痛みを覚えたものだが、それはともかく、こうした描写から「太陽族」とは無軌道で放縦な性行動に彩られたイメージが流布した。
ところが、である。映画の佐平次と晋作はどちらも妓楼「相模屋」に居残りしているのにもかかわらず、まったく性行動と無縁なのだ。佐平次は一文のカネも持たずに仲間と豪勢な飲み食いをしたあげく、その借金のカタにみずから率先して下働きとなり、口八丁手八丁の闊達ぶりですっかり重宝がられるうち、遊女のおそめ(左幸子)から言い寄られたりするが、こんなふうにうそぶく。
「オレは女郎買いに来たんじゃねえんだ。オレはちょっと胸を痛めてここへ養生にやってきたんだ。当分、女は毒。命あっての芋種子種。とにかく胸の痛みには品川がいちばんだ。食いものはうめえし、海は近くて気分はいいし、おまけに晴れた日には膳の上から安房上総がひと目で見渡せるってなもんだ」
もう一方の晋作はといえば、「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」などと口ずさみながら、だらだらと部屋に寝っ転がったり風呂に浸かったりして、久坂玄瑞(小林旭)ら攘夷の同志連中がやってくれば御殿山の異人館(英国大使館)の焼き討ちの計画を練るといった具合。一体、こうした振る舞いの佐平次や晋作のどこが「太陽族」にふさわしいのだろうか? わたしはかねて疑問だったのだけれど、いまになってその理由がわかってきた気がする。
『太陽の季節』の龍哉は、ことさらペニスを誇示してみせながら、いざその結果として英子が妊娠し、堕胎手術に失敗してあっけなく命を落とすと、葬儀の場に乗り込んで「馬鹿野郎!」とわめいて暴れまわることしかできない。すなわち、いかに大胆不敵な行動をひけらかそうとも、しょせんは現実とじかに渉りあうことのない、ただの青春のマスターベーションに過ぎなかったわけだ。
同じように佐平次と晋作もまた、一見、のうのうと世間をあしらっているかのようで、実のところ、やはりマスターベーションのうちに留まっているのが実情だろう。その意味では、衆人環視のもとで女の意地をかけて遊女のおそめとこはる(南田洋子)が組んずほぐれつの大喧嘩を繰り広げたり、一時の急場しのぎで「相模屋」の放蕩息子の徳三郎(梅野泰靖)と女中のおひさ(芦川いづみ)が駆け落ちしたりするほうが、まだしも現実と向き合っているといえるかもしれない。こうして「太陽族」とは、ひたすらまぶしいだけでガスのかたまりでしかない天体になぞらえたネーミングのとおり、人生をまったき空虚のうちにやり過ごしているのだった。
「ええい、地獄も極楽もあるもんけえ。オレはまだまだ生きるんでえ!」
ラストで佐平次はこうわめいて、未来へ向けて駆けだしていく。たとえ内実は空虚であったとしても、やはりこの人生をとことん生き抜いてかなければならない。どうやら、それが映画『幕末太陽傳』の伝えたかったメッセージらしいのである。
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