ヘンデル作曲『メサイア』

ハレルヤ!
そこには絶望を乗り越えた歓喜が


722時限目◎音楽



堀間ロクなな


 クラシック音楽史においてバロック後期の双璧をなす作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハとゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルはいずれも1685年ドイツに生まれたものの、その人生の歩みはまるで正反対といってもいいくらいだった。



 バッハは故郷のテューリンゲンで音楽活動をはじめて以降、もっぱらヴァイマル、ケーテン、ライプツィヒなどの中部ドイツで宮廷楽長(カペルマイスター)や教会合唱長(カントル)といった地味な役職をつとめて過ごし、外国に出たことは一度もなく、その存在が広く知られるようになったのは後世のことだ。宗教音楽やオルガンほか各種の器楽曲をはじめ、幅広いジャンルの作品を残したが、それらの多くはルター派プロテスタントの信仰にもとづく内省的なベクトルを持つものだった。



 一方のヘンデルは青年時代からバッハが手がけなかったオペラに関心を向け、本場のイタリアに学び、イギリスに渡ってロンドンでみずからオペラ劇場を経営しながら、40以上ものオペラを作曲し、コスモポリタンの音楽家としてヨーロッパじゅうに名声を轟かせた。さらにイギリス王家のイベントのための管弦楽や声楽楽を量産したが、それらは当然ながら万人受けする華やかで外向的なベクトルを特徴とした。



 そんなヘンデルの、今日に至るまで最も愛好されてきた作品は『メサイア』だろう。全3部、演奏に約2時間半を要する大規模なオラトリオの、第二部終結部に置かれた「ハレルヤ」コーラスはだれしも耳にしたことがあるに違いない。この名曲の成り立ちについても、すべからく沈着冷静・謹厳実直にことを運んだバッハとは趣の異なる経緯があった。そのあたりの事情を、オーストリアの伝記作家、シュテファン・ツヴァイクが『人類の星の時間』(1927年)のなかで伝えているのにしたがって追いかけてみよう。



 ヘンデルは52歳のとき、ロンドンの自宅で脳溢血の発作に襲われて半身不随となったが、強靭な意志の力で麻痺したからだをドイツの湯治場アーヘンへ運んで療養に専念した結果、パイプ・オルガンを弾きこなせるまでに回復して意気揚々と戻ってきた。ところが、かれの人気はすっかり下火となり、オペラ劇場では閑古鳥が鳴く始末で、おのれの才能が枯渇したことを思い知らされずにはいられなかった。こうして絶望のさなかにあった1741年8月21日、かつて仕事をしたことのある凡庸な詩人のジンネンスが小包を送りつけてきて、なんの期待もなく開けてみるとイエス・キリストの生涯を描いた台本が現れた。



 Comfort ye, comfort ye my people.

 慰めあれ、慰めあれ、わが民よ。



 その最初の一句を目にしたとたん、ヘンデルのなかに不可思議な力が湧き起こり、われに返ったときには猛烈な勢いで作曲のペンを走らせていた。ついに自分の部屋から一歩も出ることなく、わずか3週間でこの大作を完成させてしまったのである。



 Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!

 神を讃えよ! 神を讃えよ! 神を讃えよ!



 まさしく、全曲のクライマックスを形成する「ハレルヤ」コーラスは、救世主イエス・キリストの復活への礼讃ばかりでなく、みずからが絶望を乗り越えた歓喜も意味するものだったろう。『メサイア』がまずアイルランドの首都ダブリンで初演されると、前代未聞の感動の嵐によって迎えられて、「ハレルヤ」コーラスではすべての聴衆が起立して畏敬の礼拝を捧げ、ヘンデルは自分もこの作品によって救われたとして収入のすべてを当地の慈善事業に寄付したという。



 奇跡はそれだけにとどまらなかった。ヘンデルは以後も不屈の魂をもって創作に立ち向かい、たとえオペラ劇場が破産に見舞われようとも、また、過酷な仕事のせいで視力が奪われようとも作曲のペンを止めることがなかった。そして、1759年4月6日、もはや完全に失明した身でありながらロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で『メサイア』を指揮して聴衆に別れを告げ、1週間後の聖金曜日(イエス・キリストの受難の日)に生涯独身のまま74年の人生を終えた。



 さかのぼること9年前にバッハはすでに世を去っていたが、2度の結婚によって男女20人の子どもを授かったかれは、晩年、創作活動から引退して悠々と月日を過ごしたのちに家族に温かく看取られたという。その最期のありようも、バロック音楽のふたりの巨人は対照的だったのである。




 【追記】

  わたしが愛聴している『メサイア』のCDは、カール・リヒターがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、ヘレン・ドナート(ソプラノ)、アンナ・レイノルズ(アルト)、スチュアート・バロウズ(テノール)、ドナルド・マッキンタイア(バス)のソリストとジョン・オールディン合唱団とともに行った演奏の録音(1972~73年)です。 



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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍