シドニー・ルメット監督『狼たちの午後』

それは『ローマの休日』と
双子のような映画だった


723時限目◎映画



堀間ロクなな


 シドニー・ルメット監督の『狼たちの午後』(1975年)は、1972年8月にニューヨークで起きた銀行強盗事件の実話を映画化したものだ。先に『ゴッドファーザー』(1973年)でマフィア一家の兄弟を演じたアル・パチーノとジョン・カザールのコンビが、今度はチンピラ強盗に扮して、ライフル銃を手にブルックリンの銀行に押し入ったものの、要領が悪くてじたばたしているあいだに警官隊に包囲されてしまい、やむなく支配人と黒人の守衛、7人の女性行員を人質に立てこもり、猛暑のもとで長い一日がはじまる……。



 わたしがこの作品と出会ったのには、ちょっとした経緯がある。大学に入って間もないころ、サークルの先輩の女子学生から『ローマの休日』(1954年)を観に行こうと誘われた。近くの小さな映画館にこの名作が掛かったとのことで、さっそくデート気分で出かけたところ、二本立てのプログラムのうち、まずスクリーンに映しだされたのが『狼たちの午後』というわけだった。そのあとで『ローマの休日』の上映も終わって映画館を出てくると、彼女はぷりぷり怒って、めちゃくちゃな組み合わせのせいでせっかくのロマンティックな感動が台無しにされたとのたまったが、まあ、映画館からすれば幅広い集客のためにはやむをえない戦略だったろう。



 以来、わたしは『ローマの休日』には繰り返し接してきたけれど、『狼たちの午後』のほうはとんとご無沙汰したきり歳月が流れ、最近、ふと懐かしさに促されて半世紀ぶりに鑑賞してみて意外な発見をした。実は、このふたつの作品はめちゃくちゃな組み合わせどころか、あたかも双子のような相似関係にあるのではないか、と――。



 こういうことだ。『狼たちの午後』の主人公ソニー(アル・パチーノ)は、元銀行員の失業者で、アパートの自宅には口うるさいデブの妻とふたりの子どもがとぐろを巻き、また、同性愛の恋人が精神病院に入院中というややこしい事情があって、その性転換手術の費用を手に入れるために、ほんの行きずりの友人サル(ジョン・カザール)と銀行強盗におよんだのだった。つまり、ニッチもサッチもいかない日常のしがらみから逃れて、犯罪の迷宮に迷い込んだとたん、かれは支配者の立場となり、人質たちは恐れをなして従順に振る舞うばかりか、次第に人間的な交流も生まれて協力的な態度さえ示すようになる。のみならず、外には警官隊に加えて、おびただしいマスコミ取材陣や野次馬連中が群がり、いつしかかれを反権力のヒーローにまつりあげて一挙手一投足が全国ネットのテレビで中継されて。



 いわば、それはソニーにとって思いもよらない夢のような休日だったに違いない。『ローマの休日』では、アン王女(オードリー・ヘップバーン)がヨーロッパ諸国を歴訪のさなか、儀礼に埋め尽くされた不自由な日常にすっかり嫌気が差して、ローマで滞在中の大使館を抜け出し、スクープ狙いのアメリカ人新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)と過ごした夢のような休日と同じく。



 その夢を、かれはひたすらふくらませていく。豪勢な食事と飲み物の差し入れを命じたり、銀行の現金を野次馬連中にばらまいて大尽気分を味わったり、ついには最寄りの空港への専用ジェット機の手配まで要求するに至った。だからといって、とくに逃亡先のアテがあるわけではなく、ほんの思いつきで人質の女性行員たちをともなってアフリカ大陸のアルジェリアに向かって飛び立とうと考えただけのことだった。しょせん夢は夢でしかない、休日は終わりのときを迎えようとしていた。



 ソニーはこの事態のケリをつけるにあたって、包囲網を指揮するFBI捜査官とひそかに会見して囁く。「もしオレを殺すなら仕事としてではなく、心からオレを憎んで殺してくれ」と。そして、アン王女はローマの街から深夜の大使館に戻ってくると、険悪な侍従たちにこう告げた。「もし私が祖国と王家に対する責任を自覚していなかったら、今夜帰ってこなかったでしょう」と。両者のセリフは、この休日が一生の価値にも匹敵するものだったと明かしていることで共通するといえるだろう。



 あたかも夢のような休日を享受したあと、その夢から醒めて現実に返るために、ソニーは休日のあいだのパートナーだったサルをFBIが抹殺するのに任せ、アン王女もまた休日のあいだのパートナーだった新聞記者ジョーをみずからの人生から抹殺したのだった。その喪失の闇を、ソニーはこれから刑務所のなかで、アン王女は王室のなかでえんえんと見つめていくことになる。人生にたった一度訪れた、夢のような休日の光輝と暗黒。それが『狼たちの午後』と『ローマの休日』がともにする主題だったのではないか?



 あの日、場末の映画館でふたつの作品をいっしょに観た彼女が、いまどんなふうに思い返しているのか、できればぜひ訊ねてみたいものだ。


  

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍