神谷美恵子 著『生きがいについて』

仕事の重圧に
押しつぶされかけていたわたしは


726時限目◎本



堀間ロクなな


 わたしは本を読んでいて重要と受け止めた個所があると、付箋を貼りつけるのを習慣としてきた。あとで見返した際に、それらを追っていけばかつての受け止め方を追体験できるからだ。つい最近もそんなふうにして過去の自分と再会した。



 その本を知ったのは30年ほど前、30代半ばのころだった。当時、中間管理職の仕事の重圧に押しつぶされかけていたのだが、まあ、サラリーマンならだれでも大なり小なり身に覚えがあるはずだから具体的な説明は省くとしよう。ともあれ、毎日の生きがいを見失ってうろうろしていたとき、いまはない東京駅前の八重洲ブックセンターにたまたま立ち寄って、テレビ番組で話題という神谷美恵子の『生きがいについて』(著作集1980年、原著は1966年)が平積みされているのを目にしたのだ。



 著者は1914年に岡山県に生まれ、キリスト教の信仰に立つ人文学者・精神科医として東京・東村山の多磨全生園などでハンセン病患者への奉仕に尽くし、1979年に65歳で没している。そんな崇高な人物が、さまざまな困難を負った人々との交流をとおして、人間にとって最も必要なのは生きがいであることを学んだとして著したのがこの一冊だ。



 生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。こういうことばがあるということは日本人の心の生活のなかで、生きる目的や意味や価値が問題にされて来たことを示すものだろう。たとえそれがあまり深い反省や思索をこめて用いられて来たのではないにせよ、日本人がただ漫然と生の流れに流されて来たのではないことがうかがえる。〔中略〕もうひとつ生きがいに似たことばに、はりあいというのがある。これも西洋語にないようであるが、これは生きがいの一面をよくあらわしていると思う。人間はただ真空のなかでぽつんと生きているのは耐えがたいもので、自分の生きていることに対して、自分をとりまく世界から、何かてごたえを感じないと心身共に健康に生きて行きにくいものらしい。



 本文冒頭のこの文章にいきなり惹きつけられたようで、わたしはさっそく付箋を貼っている。生きがいとは絶対的な問題ではなく、日本人に特有の心性にもとづく相対的な問題らしいと知ったとたん、何やら頭のなかで硬くしこっていたものが柔らかくほぐれたからだろう。



 神谷はここを出発点として欧米の世界観に鑑みながら広く議論を敷衍していくのだが、わたしはこんな見出しの項目にも付箋を立てている。自殺をふみとどまらせるもの――。どこまで切実だったかどうかはともかく、こうした主題に強く関心を向けるほどには追いつめられた心境にあったのだろう。ここでは、アメリカの哲学者のウィリアム・ジェイムズがたとえ信仰を持っていない人間でも自殺をふみとどまらせるファクターとして、第一に人生に対する好奇心、第二に運命に対する攻撃心、第三に自分に対する名誉心の三つを挙げていることに触れて、神谷はつぎのように述べる。



 自殺をふみとどまらせる上に一ばん大きな原動力となるのは、なんといっても第二の攻撃心かも知れない。打たれれば打ちかえす、というのが人間にそなわっている原始的、本能的な反応のしかたであるから、運命の打撃をうけた人間がまず最初に発するうめき声は「なぜ自分だけがこんな目にあわなくてはならないのだろう」という、あのパール・バックのうらみにみちたことばである。〔中略〕このうらみの念も、報復の念も、適当な方向とはけ口さえあたえられれば、一たび足場を失って倒れた人間を再びおきあがらせるバネの役目を果たしうる。長い絶望の期間の後にパール・バックを再びしゃんとさせたのは、この事を無駄に終らせてはならない、娘の不幸を社会的に意味あらしめようという烈しい意欲であった。



 文中のパール・バックとは、もちろんアメリカの著名な女流作家のこと。彼女は結婚してたくさんの子どもを夢見ながら、たったひとり授かった娘が知的障害児だったことで絶望に瀕したものの、それを乗り越えて『大地』(1931年)を書き上げてノーベル文学賞が授与されたエピソードを指している。



 生きがいをよみがえらせる攻撃心というもの。ここで付箋が終わっているところを見ると、どうやら目先の苦境を打開するための対処法を見出したと思われる。実は、この項目はまだ本書の中盤に過ぎず、神谷はこうしたもろもろの議論をアウフヘーベン(止揚)して、究極の生きがいとは社会に対する使命感、そして、自分が生かされていることへの責任感にあると説いていくのだが、どうやらそのあたりを当時のわたしはあっけなく読み飛ばしてしまったようだ。情けないことである。あらためて、今後の人生に向けての宿題としておこう。  



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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍