岩城宏之 指揮『未完成』

ディミヌエンドか、
アクセントか


727時限目◎音楽



堀間ロクなな


 洋の東西を問わず、オーケストラ指揮者がしばしば筆が達者なのは、大勢のプレイヤーを相手に自分の考えを伝えて操ることをなりわいとするからだろうか。2006年に73歳で世を去った岩城宏之もそのひとりで、軽妙洒脱な文章を持ち味として20冊以上もの著作を上梓した。そのなかの『楽譜の風景』(岩波新書 1983年)では、最初と最後にフランツ・シューベルトの『未完成』交響曲にまつわるエピソードを配置して、この作品へのひとかたならぬ思い入れを披瀝している。



 シューベルトはわずか31年の生涯におびただしい作品を手がけ、そこには未完のものもかなり含まれて、交響曲の分野にかぎっても計13作品のうち半数近くの6作品が未完に終わっている。しかし、『未完成』といえば1822年、25歳のときにふたつの楽章だけをつくって放棄され、作曲者の死後40年あまりを経てようやく日の目を見た、このロ短調作品を指すものと決まっている。あまつさえ、クラシック音楽全体において未完の作品が無数に存在するにもかかわらず、『未完成』のタイトルを冠せられているのは唯一、シューベルトのこの作品だけといっていいだろう。



 「それにしても、『未完成』の演奏は実に難しい。何故かというと、やはりこれは出来そこないの曲だからだ。どうして出来そこないになってしまったか、シューベルトが途中で放り出したのかは、音楽の解説書を読んでいただければわかる。とにかく出来そこないで、しかもすばらしく美しい曲だから困るのだ」



 上記の著作のなかで、岩城はこう述べている。その「出来そこない」の最たる例が第一楽章終結部の、あの神秘的なディミヌエンドだと指摘するのだから、わたしは戸惑わないではいられない。だって、往年の巨匠たちはこの個所でそれぞれのやり方で音量を下げていって、ブルーノ・ワルターは青春の哀愁を醸しだし、ウィルヘルム・フルトヴェングラーは実存の深淵を抉りだしてみせたではないか。だが、かれによれば、ここがディミヌエンドなのはどう考えても不自然で、シューベルトにはアクセント記号の>を長めに記す癖があったから楽譜を印刷する段階で混乱を招いたのではないか、とずっと疑ってきたというのだ。



 そうしたところ、ウィーン・フィルハーモニーの定期演奏会で指揮することになった際、会場のムジーク・フェラインに所蔵されているシューベルト自筆の『未完成』のスコアを実見する機会があって、問題の第一楽章の終結部はやはりアクセント記号なのを確認したという。ところが、である。いざそうと判明しても、世のオーケストラのメンバーも、聴衆も、他ならぬ自分自身も、すっかりディミヌエンドに耳が慣れてしまっているために、それを実際の音にする勇気を持ってNHK交響楽団と演奏するまでに実に3年もの時間がかかったそうだ。



 現在の楽譜はすでにアクセント記号に訂正され、たいていの指揮者がこれにしたがって演奏しているようだ。もとより、岩城が晩年に音楽監督をつとめていたオーケストラ・アンサンブル金沢と行ったライヴ録音(2003年)でも、しっかりとアクセントを置いて結ばれていて、そこには先駆者にふさわしい自負が感じ取れるほどだ。



 「乙女の墓からは天上の想いが絶えず立ち昇って、周囲にざわめく若者たちの方へ向かっていた。ぼくも急に彼らの仲間に入りたいと思った。しかし人がいうには、奇跡によらない限りその仲間に入ることはできないとのことだ。しかしぼくは敬虔な心と確たる信仰をもって視線を伏せ、ゆっくりした足どりで墓に近づいていった。そして知らないうちにその仲間に入っていた。そのサークルの周りには素晴らしい音がみち、ぼくは永遠の至福が一瞬に凝結したように感じた」(前田昭雄訳)



 これは、シューベルトがちょうど『未完成』を書いたのと前後する時期に、どのような事情があったのか『ぼくの夢』と題してしたためられた文章の一節だ。ある日、清らかな乙女が亡くなったとの知らせを受け取って葬儀に出かける夢を見たとして、この文章が続く。いかにも不思議なことに、死をテーマとしながら少しも悲しみの気配がなく、むしろ清浄な喜びの雰囲気に満たされているのは、みずからの短い芸術的人生を予感してのものだったろうか?



 一瞬に凝結したような永遠の至福――。わたしはつい、岩城が響かせた『未完成』第一楽章のフィナーレにこの言葉を重ねたくなるのである。


    

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍