アキ・カウリスマキ監督『マッチ工場の少女』
現代によみがえった
マッチ売りの少女
731時限目◎映画
堀間ロクなな
アキ・カウリスマキ監督(フィンランド)の映画『マッチ工場の少女』(1990年)は、タイトルからしてもハンス・クリスチアン・アンデルセン(デンマーク)の童話『マッチ売りの少女』(1845年)を下敷きにしていると見なすべきだろう。
ストーリーは――。少女と呼ぶにはかなりトウの立ったイリス(カティ・オウティネン)は、母と義父と暮らし、マッチ工場で働きながら夜ごと男性との出会いを求めて街に通ったものの、ウダツのあがらない顔つきと身なりのせいか、まるで成果がなかった。そこで、給料日に真紅のドレスを買い込んでディスコへ繰りだしたところ、一流企業に勤めるアールネ(ヴェサ・ヴィエリッコ)に誘われて豪華なアパートで一夜を過ごす。以来、何度もかれの部屋に押しかけたり、自宅に招いて両親と引き合わせたりして舞いあがるイリスだったが、たまりかねたアールネは「これっぽっちも愛していない。きみもぼくのことを忘れてくれ」と告げる。その直後、彼女は妊娠したことを知って「私を愛してくれなくても、子どもは可愛いはずよ」と手紙に書いたところ、相手からは中絶費用の小切手が送られてくる始末。あげくの果てに交通事故で流産して、不道徳な成り行きに立腹した両親から勘当されてしまう……。
こんな内容のどこに、あの悲しくも美しいマッチ売りの少女の物語との接点が存在するのか、と疑う向きもありそうだが、わたしはつぎのように考える。
アンデルセンの伝記によれば、この「童話の王様」は繰り返し女性に恋しながらまったくモテなかったという。なかでも象徴的なのは、すでに名声を得ていた40歳近くになって、15歳年下のオペラ歌手イェンニイ・リンド(スウェーデン)にさんざん入れあげたあげく、しまいには相手から「坊や」と頭を撫でられて関係が終わったというエピソードだろう。同時代の批評家ゲーオア・ブランデスは、アンデルセンの性格についてこんなふうに分析している。
「この下層階級の子の心には、男らしさへと成長する萌芽は、かすかにも宿っていなかった。彼には次第に誇りができた。特に外国から賞讃を博す時に、その誇りは高められた。しかし男性らしい逞しさとか勇気は、まったくなかった。彼の精神には、攻撃の武器が完全に欠けていた。全生涯を通じて、たとえ瞬間的でさえ、正しいことのために身を挺して、弱者の味方となって権力者を攻撃しえたというような例は、一度もなかった。彼自身、実に久しい間、人々の愛情を、好意を、親切を、なかんずく人々に気に入られることを必要とする、一介の弱者であった」(山室静訳)
確かに、こうした性格では女性にモテそうもない。そんなアンデルセンが片想いのイェンニイ・リンドを追ってドイツまで足をのばした際に、ある出版編集者から小さな女の子が前掛けにマッチ棒を抱えた版画を見せられて、これをきっかけに書き上げたのが『マッチ売りの少女』だという。
だとすれば、このあまりにも有名な童話の主題もいくぶん違って眺められるそうだ。大晦日の夜に道行く人々がマッチ棒を買ってくれず凍えながら途方に暮れる女の子の姿には、世の女性たちから相手にされないアンデルセンそのひとの孤独な心境が投影されていたのではないか。また、その商品のマッチ棒も、頭部に黄リンを塗った実用的な製品が発明されたのは物語からほんの15年前の1830年のことで、それまで火打石などに馴れてきた世間にあってはまだ魔術めいたイメージが残っていたと想像したくなる。だから、女の子がマッチ棒をするたびに美しいクリスマス・ツリーやら、暖かなストーブやら、鵞鳥の丸焼きのご馳走やらの幻が立ち現れたのだ、と――。
映画のイリスも魔術を手に入れる。殺鼠剤。彼女はドラッグストアでそれを買い求めると、水溶液をボトルに仕込んでアールネのアパートを訪れ、別れの乾杯をする相手のグラスにボトルの中身を注ぎ込む。さらに、たまたま立ち寄ったバーのカウンターでナンパしてきた男のグラスに注ぎ込み、また、久しぶりに実家に戻って食卓をともにしながら両親のグラスにも注ぎ込み……。かくして、数日後にマッチ工場にやってきた刑事たちに向かって、イリスは表情を変えることもなく頷いた。
「さあ、わたしを連れていってちょうだい!」
マッチ売りの少女が最後に天国のおばあさんを見上げて発した痛切な叫びは、現代のマッチ工場の少女のものでもあったのである。
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