ロブ・ライナー監督『ミザリー』
読者は叫ぶ
“You did it! You did it! You did it!”
735時限目◎映画
堀間ロクなな
わたしは料理雑誌の編集長をやったことがあり、このとき大変印象的な出来事にめぐり会った。デスクに一本の電話がかかってきたのだ。若い女性の声で、「レシピにほうれん草が一把と出ているけど、お店によって量が違います。どうすればいいの?」と――。かなり切羽詰まった口ぶりから、新米のお嫁さんで厳しいお姑さんがいるのかもしれないなどと想像して、わたしが「大丈夫、少々違ってもへっちゃらですよ、がんばってください」と励ますと、受話器の向こうで息を吐く気配があって切れたのだった。
その経験は、わたしに本づくりの責任についてあらためて考えるきっかけを与えてくれた。こちらはごく当たり前の仕事としてこなしているつもりでも、その本を手にした読者にとっては当たり前ではない意味を持つことがある。料理のつくり方でさえこれだけ重大に受け止める読者がいるのだから、本の内容によってはいっそう深刻に相手の人生を左右しかねず、こちらが喜びや励ましを与えたいと願ってつくったものでも、逆に苦しみや悲しみをもたらす結果だってありうることを、われわれは認識しなければならないはずだ。
そうした観点からすると、ロブ・ライナー監督の『ミザリー』(1990年)をとうてい平静な気持ちで眺めることはできない。こんなストーリーだ。
流行作家のポール・シェルダン(ジェームズ・カーン)は、ミザリーをヒロインとするシリーズがベストセラーとなって8作を書き継いだものの、いまやすっかり飽きてしまい、間もなく発売される新作をもって打ち止めにした。そして、コロラド山中のロッジで新境地の作品を仕上げて出版エージェントのもとへ届けに行く途中、車が積雪で滑落して重傷を負い、中年女性のアニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)に救助される。ミザリーの熱烈なファンと自称する彼女は元看護婦で、ポールをひとり住まいの自宅へ運んでいき、「あなたは天才だわ!」と誉めそやしながら心を尽くしてケアした。ところが、かれの許諾を得て事故現場から持ち帰った原稿を読み、それがミザリーのシリーズとは似ても似つかぬ、下品な言葉で綴られた少年期の自叙伝と知ると次第に態度が変わっていく……。
そこには、原作者スティーヴン・キングの実体験が反映しているのに違いない。もちろん、作者の立場からすれば作品とは自己のもので、当然、その主人公はおのれの支配下にあるものと決めてかかっているが、しかし一方で、商品としての作品は読者から受け入れられることによって初めて成り立つわけで、ましてやベストセラーの主人公ともなればもはや不特定多数の読者の支配下にあると見なせるのではないか。こうした作者と読者の受け止め方のミスマッチが、この奇怪な悲喜劇の主題といえるだろう。
アニーはかつて、夫が去っていってひとり取り残されたあと、生活のため昼夜を問わぬ病院勤務に従事してくたびれきった日常にあって、奇跡のようにポールの小説と出会い、一言一句を暗記するまで読み返しながら、ヒロインのミザリーを心の支えとして生きてきたという。そんな彼女には強度のサイコパス(精神病質者)の傾向があり、過去に殺人を繰り返してきたらしいとの疑惑が浮かびあがって……といったサスペンス仕立てのバックグラウンドはとりあえずどうでもいい。なぜなら、そうした禍々しい設定がなくても、わたしには十分恐ろしく感じられるからだ。
ポールがいまだベッドに横たわっているさなか、ミザリーのシリーズの新作『ミザリーの子供』が発売になると、アニーはさっそく書店で買い求めて舐めるように読みはじめる。そして、ヒロインのミザリーが出産であっけなく命を落としてしまうことを知るなり、髪を逆立て激昂して作者に向かって叫ぶのだ。
“You did it! You did it! You did it! You did it! You did it!”
お前がやったんだ! お前がやったんだ! お前がやったんだ! お前がやったんだ! お前やったんだ! お前が私のミザリーを殺したことは絶対に許さない。かくして、彼女はポールの骨折が治りかけていた両脚をふたたび鈍器でへし折って室内に監禁し、ミザリーが無事生き返る原稿をすぐさま書き上げるように命じる。それは、果たしてアニーだけの罪だったろうか? わたしは必ずしもそう考えない。読者の胸中になんら思いをいたすことのなかった作者と編集者にも相応の責任があると考えるのだ。
さらに考える。ことによったら、わたしがこれまでつくってきた本に対しても、わたしの知らないところで「お前がやったんだ!」と声を浴びせかけた読者が存在したのではないか、と――。
0コメント