ツルゲーネフ著 二葉亭四迷 訳『あひゞき』

「言文一致」が
意味するものとは


747時限目◎本



堀間ロクなな


 19世紀ロシアの作家、イワン・ツルゲーネフの『猟人日記』は、作者自身を思わせる主人公が狩猟を趣味として中央ロシアの各地をめぐりながら出会った民衆たちとのエピソードを22編の短篇小説に仕立て(のちに3編を追加)、1847年から51年にかけて雑誌『同時代人』に連載したものだ。それが後年、皇帝アレクサンドル二世の農奴解放令(1861年)につながったという。



 このなかの1編を、東京外国語学校(現・東京外国語大学)でロシア語を学んだ二葉亭四迷が翻訳して、1888年(明治21年)、雑誌『国民文学』に『あひゞき』の題で発表し、その「言文一致」が日本近代文学の扉を押し開くきっかけとなったことはよく知られている。二葉亭は前書きで「私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、是れでも原文は極めて面白いです」と断ったうえで、つぎのように本文をはじめている。



 秋九月中旬(なかば)といふころ、一日(あるひ)自分がさる樺の林の中に座してゐたことが有ツた。今朝から小雨が降りそゝぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖(あたた)かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合ひ。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思ふと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、無理に押し分けたやうな雲間から澄みて怜悧(さか)し気に見える人の眼の如くに朗かに晴れた蒼空(あおぞら)がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けてゐた。



 一読して明らかなとおり、「言文一致」とはたんに話し言葉を書き言葉にして済むといった作業ではなかったようだ。



 ここに描かれているのは、いくばくかの孤影を背負った主人公の目に映った白樺林の風景だが、日本において風景を題材とするのはもっぱら和歌や俳句のたぐいで、それまで散文の自然描写があることを知らなかったろう。こうして『あひゞき』が切り開いた新たな地平を、国木田独歩の『武蔵野』(1901年)や島崎藤村の『千曲川のスケッチ』(1912年)などが引き継いでいく……。



 物語の主人公は、白樺林のなかで居眠りをして目覚めると、こちらの存在に気づかずに百姓娘アクリーナと素封家の侍僕ヴィクトルの恋人同士が密会しているのを目撃する。いじらしい少女は花束を手にして懸命にすがりつこうとするのに、近々雇い主に付き添ってペテルブルグへ行くという相手はけんもほろろに別れを口にする。そんな青年の横柄ぶりに主人公が腹を立てるうち、ふたりはそれぞれの帰る方向に姿を消していき、白樺林はふたたび静けさを取り戻した。こんな文章で綴られる。



 自分はたちどまつた。花束を拾ひ上げた。そして林を去ツてのらへ出た。日は青々とした空に低く漂ツて、射す影も蒼さめて冷かになり、照るとはなくて只ジミな水色のぼかしを見るやうに四方に充ちわたツた。日没(ひのいり)にはまだ半時間も有らうに、モウゆうやけがほの赤く天末(てんまつ)を染めだした。黄ろくからびた刈科(かりかぶ)をわたツて烈しく吹付ける野分に催されて、そりかヘツた細かな落ち葉があはたゞしく起き上り、林に沿ふた往来を横ぎつて、自分の側を駈け通ツた、のらに向いて壁のやうにたつ林の一面は総てざわざわざわつき、細末(さいまつ)の玉の屑を散らしたやうに、煌(かがや)きはしないが、ちらついてゐた、また枯れ艸(くさ)、莠(はぐさ)、藁の嫌ひなくそこら一面にからみついた蜘蛛の巣は風に吹き靡(なび)かされて波たツてゐた。



 まさに主人公の心境の変化を反映して、あたりの風景がつい先刻から一変したことが目に見えるようではないか。こうした人間心理と自然描写の相関を日本語の散文に移し替えたのもまた「言文一致」であり、そのために二葉亭がどれだけ苦労を重ねたか、わたしは思いをめぐらせないではいられない。



 手元の角川書店版『日本近代文学大系 二葉亭四迷集』(1971年)の注釈は、このパラグラフの冒頭「自分はたちどまった」のロシア語原文が「暫く立っていた」であることを指摘したあとで、「自然は『自分』に全く違った風貌を見せる。冷やかな闇が迫まり、突風が吹き抜け、落ち葉が舞う。もはや夏は終わった。冬が間近い。アクリーナの夏がすでに終わりをつげたこと、彼女の上にやがて厳寒の冬が到来することを暗示する」と記している。この見事な注釈を行った安井亮平は、早稲田大学文学部におけるわたしの恩師のひとりで、ロシア語のイロハを教わったのだった。学生時分は浅はかにもこうした仕事をされていることを知らず、すでに師が世を去ったいまになって、その存在のおかげで日本近代文学の立役者、二葉亭四迷と親しく相対するかのような気分を味わっているのである。


   

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍