ストリンドベリ著『令嬢ジュリー』

駆け落ちは
鳥かごとともに


755時限目◎本



堀間ロクなな


 かねてわたしが不思議なのは、いや、わたしにかぎらずたいていの男性が首を傾げているはずなのは、女性たちのぬいぐるみに対する執着だ。街中を闊歩する女子中高生からスーツ姿のOLまでがカバンやら携帯電話やらに他愛のないぬいぐるみをぶら下げている。あれは一体、どのような心理機構にもとづくのなのだろうか?



 その疑問を解くカギが、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリの戯曲『令嬢ジュリー』(1888年)に見出せるかもしれない。ノルウェーのヘンリク・イプセンと重なる時代を生きたこのスウェーデンの劇作家は、イプセンと同じく、新たなフェミニズム運動の思潮のもとで女性の自立のテーマに強い関心を向けたが、これもそのひとつだ。



 北欧の人々がクリスマスに匹敵するほど待ち望むという夏至を迎えて、だれしも心静かではいられない白夜の出来事。格式高い伯爵家にあってつい最近、婚約が破談になったばかりの令嬢ジュリー(25歳)は、慣れないビールの酔いも手伝って、男っぷりのいい使用人ジァン(30歳)と関係を結んでしまう。とたんにジァンはジュリーに向かって居丈高に「売女」と呼びかけ、ふたりはこのまま駆け落ちすることになったが、そこで突拍子もない事態が出来する。ジュリーが大きな鳥かごを抱えてきて、こんなやりとりが交わされたのだ。元・駐スウェーデン大使の内田富夫による訳。



ジュリー 私のペットのカワラヒワ。この子は置いて行けないの!

ジァン あぁ、そういうこと! 鳥かごを持って駆け落ち! 気でもふれたんですか! そのかごを置きなさい!



 激高したジァンは、鳥かごから「セリーネちゃん」と名づけられたカワラヒワを掴みだすなり、すぐさま包丁で首を切り落としてみせた。この血なまぐさい一場が意味するものはなんだろう?



 フェミニズムの論客、上野千鶴子は著作『女ぎらい』(2010年)のなかで、男性は女性に対する崇拝と蔑視を両立させるために性の二重基準を設けてきたとして、こう論じる。「性の二重基準は、女性を二種類の集団に分割することになった。『聖女』と『娼婦』、『妻・母』と『売女』、『結婚相手』と『遊び相手』、『地女(じおんな)』と『遊女』……の、あの見慣れた二分法である。生身の女には、カラダもココロも、そして子宮もあればおまんこもあるが、『生殖用の女』は快楽を奪われて生殖へと疎外され、『快楽用の女』は快楽へと特化して生殖から疎外される。この境界を乱す子持ちの娼婦は、気分を削ぐ存在だ」。



 この記述にしたがうなら、ジァンの目にはカワラヒワがジュリーの無垢なる「聖女」のメタファーと映ったのであり、その首を切り落とすことでジュリーを「娼婦」へ突き落とすことを目論んだと分析できよう。しかし、そう単純な図式に収まるだろうか? 実のところ、ジュリー自身もまた、みずからのうちに「聖女」と「娼婦」の葛藤を抱え込んでいたのではないか。なぜなら、カワラヒワを殺したジァンに向かって、こんなセリフを投げつけているからだ。



ジュリー 私が血を見ることが出来ないと思うの? 私のことをそんなに弱い女だと見くびっているのね。……あぁ――私はおまえの血が、おまえの脳漿がまな板に流れるのを見たい。――おまえの性器がこの鳥のように血の海に溺れているのを見たい。……私はおまえの頭蓋骨から血を飲むことだって出来る。おまえの胸郭を器にして自分の足を洗うことも、おまえの心臓を焼いて食ってしまうことも。――おまえは、私が意気地なしだと思っている。おまえは、わたしの子宮がおまえの精子を欲したからには、私がおまえを愛していると思っている。おまえは、私が自分の腹におまえの子供を宿し、自分の血でそれを養い、おまえの子供を産み、その子におまえの苗字を名乗らせると思っている。――それにつけてもおまえの名前は何と言う? おまえの苗字を聞いたことがない。



 わたしはかつて、演劇ワークショップの『令嬢ジュリー』公演に携わったことがある。といっても、会場の設営や集客などの裏方仕事を手伝っただけだが、初めてひとつの舞台ができあがっていく体験を味わった(そこで使われたのが内田富夫訳の台本だった)。このときに上記の場面で、若いアマチュア女優が泣き叫んで感情を激発させるのを目の当たりにしたのだった。ふだんは幼さの残るおとなしい彼女にいきなり、この破滅に向かってひた走っていくヒロインが憑依したかのように。おそらくは、すべての女性が男性の関知できないところでこうした二重基準を抱え込んでいるのだろう。



 そのとおり、日本社会の女性が執着するぬいぐるみは、ジュリーのカワラヒワと同じ役割を果たしている、というのがわたしの見立てだ。それは彼女たちにとって二重基準をかろうじて封印するための栓であって、もしも外れてしまったら、みずからのうちに滾らせている葛藤がいっぺんに激発しかねないのだ、と――。   



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍