バッハ作曲『平均律クラヴィーア曲集』第1巻
鍵盤楽器の旧約聖書を
中国出身の女性ピアニストが
818時限目◎音楽
堀間ロクなな
適切に調律されたクラヴィーア(鍵盤楽器)のための曲集、あるいは、長3度つまりドレミと、短3度つまりレミファをともに含む、すべての全音と半音による前奏曲とフーガ。音楽を志す若い人々の学習に役立つように、そしてまた、すでにこの学習に熟練した人々の特別な楽しみのために、現アンハルト=ケーテン侯殿下の楽長であり、その室内楽団の監督であるヨハン・ゼバスティアン・バッハがこれを起草し完成す。1722年
これは、日本で『平均律クラヴィーア曲集』第1巻として知られる作品の表紙に、バッハ自身がしたためた標題を逐語的に訳したものだ。いかにも長ったらしい文言が意味するところを要約するとこんなふうになるだろう。ヨーロッパの音楽においては1オクターブに12の音を当て、原理上はそれぞれ中心となる音の調によって調律が異なるところ、鍵盤楽器では演奏中にある調から別の調に移っても調律し直すことは不可能だ。そこで、あらゆる調に対して相対的に最良の結果が得られる調律のあり方が模索されるなかで、バッハが長男フリーデマンをはじめ学習者や演奏家のために新たなビジョンを提示してみせたのがこの曲集というわけだ。
ハ長調、ハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調……とはじまり、変ロ長調、変ロ短調、ロ長調、ロ短調に至るまで、12の音を中心とする長調と短調、計24のすべての調を網羅する前奏曲とフーガのセットで構成された作品が、かねて「鍵盤楽器の旧約聖書」と呼ばれてきたのは、バッハの音楽の秩序への壮大な取り組みを、神が混沌から天地を創造した偉業になぞらえたからに違いない(なお、もう一方の「鍵盤楽器の新約聖書」とされるのはベートーヴェンの32のピアノ・ソナタだ)。
当然ながら、この曲集には歴代の名匠たちが多彩な演奏を刻んできたわけだが、わたしが目下、最も気に入っているのは中国出身の女性ピアニスト、シュ・シャオメイが2009年に録音したものだ。最初のハ長調の前奏曲の出だしを耳にしただけで、独特の底光りするような強靭な響きに惹きつけられてしまう。自叙伝『永遠のピアノ』(2007年)によると、そこには彼女が歩んできたただならぬ人生が反響しているようなのである。
シャオメイは、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した1949年に上海で生まれ、母親の手ほどきでピアノの魅力に取り憑かれ、11歳のときに北京の中央音楽学院への入学を許可される。ところが、1964年に毛沢東によって「文化大革命」が発動されるなり事態は急変し、西洋音楽にかぶれたブルジョア教育は革命への裏切りとされ、教師や生徒は再教育収容所に送られる。そうやって彼女も収容所を転々としながら死と隣りあわせの月日を送り、1971年に河北省張家口の「大獄」に移された際、革命礼賛の『模範劇』の練習のためという理由で実家に残したままになっていた小さなピアノを取り寄せることに成功する。
あまりの寒さで指もかじかむ「冷蔵庫」に置かれたピアノと久しぶりに再会したシャオメイは、音楽学院の教師の言葉を思い起こす。「指を温める一番の方法は、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』のフーガを弾くこと。ポリフォニーの各声部がはっきりと聞き分けられるようにね」と――。その教えをあらためて実践していたさなか、彼女はやはり「大獄」に収容されていた画学生とこんな会話を交わす。槌賀七代日本語監修。
ある晩、「冷蔵庫」を出て、収容所の中庭を通っている時、彼が急に立ち止まった。
「空に、幾つの色が見える?」
私は目を細めて、注意して眺めた。けれども一つの色しか見えない。今度は彼が観察する。
「僕には七色見えるよ」
私には絶望的なまでに一色しか見えないままだったので、彼は一つの助言をくれた。それは生涯私を助ける言葉となった。
「毎晩、顔を上げて観察してごらん。君も空の七色が見えるようになるから」
彼の言ったとおりにしてみた。そして率直に言うなら、私は人生で初めてじっくり見るという行為を知ったのだった。
おそらくこの自叙伝のなかでひときわ美しい場面だろう。シャオメイが苛烈きわまりない人生で空をじっくりと見上げるうち、一色でしかなかった空がやがて七色の空となっていった体験は、バッハが新たな音楽の秩序を見出そうとした営みと重なって、独自の『平均律クラヴィーア曲集』の演奏をもたらしたのではないか。1976年に毛沢東の死去にともなって「文化大革命」が終結すると、彼女は母国をあとにしてアメリカからフランスへ渡り、1990年、40歳にしてプロのピアニストとしてデビューを果たす……。
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