モーツァルト作曲『交響曲第25番』

人類史上稀な17歳の
手になる芸術作品の双璧は


197時限目◎音楽



堀間ロクなな


 まったく、なんという音楽なのだろう! ミロス・フォアマン監督による映画『アマデウス』(1984年)の冒頭。ウィーンの大邸宅で、深夜に元宮廷楽長サリエリの「モーツァルト、許してくれ!」という叫び声が闇をつんざき、みずから頸動脈を切って自害しかけたところを発見されて、老いた身が降雪のなかを癲狂院へと運ばれていくシーンにかぶさる音楽だ。演奏を担当したネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の唸りをあげるシンコペーションに、胸倉をつかまれて揺さぶられるような衝撃を味わったのはわたしだけではないはずだ。



 モーツァルトの『交響曲第25番』――。かれが残した番号つきの41の交響曲中、この『第25番』と『第40番』のふたつだけが短調で書かれ、しかもどちらもト短調が選ばれている。また、批評の神様・小林秀雄が「モオツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」という有名なレトリックを呈した『弦楽五重奏曲第4番』もやはりト短調のため、かれにとって特別な思い入れのある「運命の調性」と見なされて、確かにいずれもがひときわ深い陰影を帯びた感情の奔流を伝えてくる。なかでも『第25番』は17歳のときの作品だけに、いっそう生々しい。



 「女王さま、たいそうお元気でお過ごしのことと存じます。それにしましても時折は、あるいはむしろ時どきは、いやそれよりもしばしば、さらによく申せば南欧人の言葉を借りてクアルケ・ヴォルタ(幾たびか)、あなたさまの大事な、そして切なるお考えを(それをあなたさまが、そのみめうるわしさに加えておもちになる世にも美しく確かな理性から生じますもので、そのうら若いお年とかよわい婦人の身にはおおよそ望むことかなわぬもの、ああ女王さま、世の男の子たちも、いや、年老いた人たちさえ恥じ入るほどのものでありますが)私にも幾分たりともお分かち下さいますように。ごきげんよう。(これは抜け目のない手紙でしょう)」(柴田治三郎訳)



 1773年夏の3カ月間、モーツァルトは父レオポルトとともにウィーンへ出かけた。その旅先から故郷ザルツブルクの姉宛てに送った手紙が上に引用したものだ。なんと天真爛漫なはしゃぎっぷり! のびのびと羽根を広げてくつろいでいる様子が窺われる。だが、いちばんの目的だった求職活動で成果を得られないまま、ザルツブルクへ戻ってくるなり、ただちにつくりあげたのが『第25番』だ。



 ときあたかも楽壇を席巻した「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)」の気運に煽られ、他方では、映画のなかにも描かれた故郷での雇用主・コロレド大司教との軋轢に憤懣やるかたなく、あえてト短調を用いた痛烈な交響曲が書かれたのだろう。まだ17歳の少年の胸中に吹き荒れていた狂熱と、姉宛ての手紙に見られる無邪気さとのギャップこそが、モーツァルトという無類の天才を誕生させたのに違いない。だから、いまさらサリエリが魔手をさしのべるまでもなく、その亀裂を抱え込んだ人生行路が調和のもとで永続することはどのみちありえなかったのではないか。



 それからおよそ100年後のフランスに突如、ひとりの詩人が出現する。かれもまた、内面に深い亀裂を抱え込んでいた。



 だが、惟(おも)えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、

 月はおどろしく陽はにがかった。

 どぎつい愛は心蕩かす失神で私をひどく緊めつけた。

 おお! 龍骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

 (中原中也訳)



 このアルチュール・ランボーの『酔いどれ船』(1871年)と、モーツァルトの『交響曲第25番』とが、人類史上稀な17歳の手になる芸術作品の双璧だとわたしは考えている。



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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍